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住民基本台帳ネットワークをめぐる訴訟は、金沢地裁で「離脱を認めないのは憲法違反」という判決が出た翌日の三十一日、名古屋地裁でまったく逆の判断が示された。
司法の迷走に戸惑う向きもあろうが、個々の裁判官が独立して判断する裁判官独立制度が健全に機能している証拠、と受け止めたい。
そのうえで指摘したいのは、名古屋地裁が法制度や機械システムに対して示した素朴な信頼への疑問だ。
確かに、個人に関する情報を法で定めた目的以外に使うことは禁じられているが、「禁じられている」ことと「できない」こととは違う。現実を素直に見れば「住基ネットは危険なシステムではない」などと楽観することはできない。
住民票コードを何らかの手段で入手すれば、コンピューターを通じて他人の個人情報も入手できる。さまざまな個人データの入った複数のコンピューターをつなげば特定の人を丸裸にすることもできる。
国民年金保険料の未払いに関する情報を社会保険庁の職員がのぞき見していたことは記憶に新しい。役所における個人情報の扱いのずさんさは、いまさらあれこれ説明するまでもないだろう。米国防総省のコンピューターに外部から侵入されることさえある現実から目をそらすべきではない。官公庁関係者からの個人情報の漏洩(ろうえい)もしばしば報じられる。
これまでの政府の説明では、プライバシーをまるごと行政当局に握られることに対する住民の不安は解消しない。根本的対策はデータを集中蓄積しないことである。
その意味で、金沢地裁が自己情報コントロール権を認めたことは画期的だ。この権利を、自分に関する情報を開示するかどうかをすべて自分で決められる権利と考えると「社会で仮面をかぶって生活する自由」につながり、隣人との間にあつれきが生じる恐れがある。だが、公的機関に丸裸にされないための権利と考えれば、多くの人は共感するはずだ。
事務能率向上、住民の便益向上など政府が主張するメリットは抽象的で、現実にある不安を上回るほど具体的な公益性があるとは思えない。
政府は既成事実や体面にとらわれず、安全策を徹底的に洗い直すのはもちろん、離脱希望の受け入れも視野に入れて制度を見直すべきだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20050601/col_____sha_____002.shtml