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■何ができるか
岡崎被告から最初の手紙が届いたのは一九九八年十二月。一審で死刑判決が出た後だった。二通目からはB4判の紙に小さな字がびっしりと書き込まれ、犠牲者、遺族への謝罪の言葉がつづられていた。
「二審も上告審も死刑だと思います。問題は残された時間内で何ができるのかです」。極刑への覚悟とともに、焦りも伝わってきた。
文通は、記者が教団の教義などを質問し、岡崎被告が回答する往復書簡の形で続いた。「何が間違っていたから凶悪犯罪に至ったのか?」。こんな問いには「『ここが間違っていたから』と簡単に言えるなら、殺人事件など起こる訳がない。自己否定し教祖や法友(修行仲間)を罵倒(ばとう)するのは楽。しかし純粋で誠実な人ほどそれができないのです」と戸惑いながらの回答も。
九〇年代前半、教団が勢力を急激に拡大した理由を聞くと「出家者の人件費はゼロ。(出家者を働かせる)他にない出家システムだからこそ、どんな事業を興してもオウムは成功し拡大した」とさまざまな職業を経験した被告らしい独自の解釈を示した。
■メッセージ
岡崎被告は獄中で、自分が殺害に関与した坂本堤さん一家三人の戒名と田口修二さんの名前を書いた札に一日四回お経を上げ、犠牲者の冥福を祈り続けている。
しかし、それで遺族の心が癒やされることはないのは本人が一番分かっている。「ご遺族から長生きしたいと誤解されるのが嫌でたまらない」という被告は、せめてもの償いとして、教団にとどまる信徒たちにメッセージを送ってきた。
二〇〇一年十二月の控訴審判決の直前。「犯罪をしなければ、麻原の仏教思想は正しかったという論理が残っているからアーレフが存続している。脱会した信徒も心の中では、『ポア(殺人)さえしなければ良かったのに』と悔やんでいるはず」。オウム問題の解決のためには、チベット仏教の輪廻(りんね)転生思想に光を当てなければならないと強調した。
教祖の“世襲”にも不安を表明し、「将来、麻原被告の幼い子どもたちが指導者として育てられ、グル(師)として目覚めることは阻止しなければ」と訴えたことも。
■昨年仏門入り
「みな麻原と仲良く極刑の道へと向かう以外にはあり得ないのです。当然の帰結ですが…」。控訴が棄却された後、被告は上告しない意思を崩さず、弁護団が上告した。
最近、差出人の名前が「宮前一明」に変わった。岐阜県関市の禅寺「玉龍寺」の宮前心山住職(69)と知り合い、昨年五月、住職と養子縁組したためだ。昨年十一月には得度した。
最高裁の判決に際して、本紙に寄せた手記に示されたのは、逮捕以来十年近くかかって到達した自身の死生観なのだろうか。
「ブッダは輪廻転生など説いていません。この世にカルマなんてありません。気づいたとき、私たちは宗教や信仰の呪縛(じゅばく)から離れます。他人に教義や教えを刷り込むのは間違いであり、真の仏教とは宗教でも信仰でもありません」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20050408/mng_____kakushin000.shtml