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門司港駅(当時は門司駅。関門トンネル開通時に今の名になった)が開業したのは1891年(明治24年)。現在の駅舎は、1914年(大正3年)に建てられた二代目で、木造モルタル二階建て。
事務室に入ってみると、とにかく天井が高い。「冷暖房はあまり利きませんね」と東猛駅長(53)は苦笑する。
二階の天井も同じくらい高い。大正天皇も休憩した貴賓室は見学可能で、現在は往年の写真パネルや模型が展示されている。駅前広場を見下ろすホールは、かつては洋食レストラン。現在では集会所として地域の人々に開放されている。
「合唱や会合、バナナのたたき売りの練習にも使われていますよ」
バナナのたたき売りは門司港が発祥の地だ。台湾から輸入されたバナナのうち、船内で蒸れてしまったものを港で売ったのが始まりだという。1度は廃れたが、近年、市民の間で保存会が作られ、レトロ地区で上演されている。
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門司港に係留された釣り船の向こうに関門橋が見える旧門司三井倶楽部、旧大阪商船ビルなど、大正期に建てられた建物を修復した「門司港レトロ地区」は一種のテーマパークとして人気を集めているが、その周辺には普通の町の生活がある。
商店街「栄町銀天街」の隣の路地に面した「燦(さん)」は、門司の名物バーだ。開店から約40年、女性三代で経営している。二代目ママの西村美沙子さんは町の芸者だった。
「少し山の方は、昔は料亭が集まった花街でした。もう芸者衆はいないけれど、そのころの建物は、まだ残っていますよ」
お勧めに従い、錦町のあたりを歩いてみた。石垣の上に木造3階建ての威容を誇る、かつての料亭「三宜楼(さんきろう)」など、確かに古い建物が目に付く。長屋かと思ったら営業中の銭湯だったり。「レトロ地区」が「演出されたレトロ」なのに対し、周辺地域は「生きているレトロ」とも言えそうだ。
そんな一角で古い民家を改装してレトロ喫茶「おかし屋」を営む伊藤真一さん(25)は、北九州でも若松区の出身。
しばらく北九州を離れていたが、駅前で観光案内を兼ねた人力車を引く仕事のために門司港に住むことに。
「子供のころの『倉庫が多い町』という印象しかなかったから驚きました」
町中を走り回るうちに、この地区が気に入って、先代の店主から店を譲り受けた。
「食事はおいしいし、交通も便利。住むにはいい町です」
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旧門司税関(左)など明治・大正時代の建築物を再生させた「門司港レトロ地区」駅を出て左側、通りを1本渡ると、もうそこは港だ。向かい側には下関。国鉄の関門連絡船は64年限りで廃止されたが、今も定期船は頻繁に行き来する。
「船なら5分、歩行者用トンネルを歩いても15分くらい。『関門』というひとつの地域として、ゆっくり回遊してもらいたいんです」
北九州市門司港レトロ室の湯本正三室長(54)は話す。この地域の観光開発のために昨年4月に設けられた部署だが、湯本さんは下関出身で、JR下関駅長を務めていた。
「門司からは夕焼けがよく見えるし、下関からは夕日に染まった門司の街がきれいに見えます」
欧米人が見れば川と間違えそうな幅の海峡を、ひっきりなしに船が通る。風に吹かれて海を眺めていれば、すぐに時間が過ぎていきそうだ。
門司港駅を降りると、向かい側にある旧門司三井倶楽部(重要文化財)をはじめ、大正期の建築物が立ち並ぶ「門司港レトロ地区」に出る。第一船だまりの周囲には、土産物店やカフェが並ぶ。駅南側の九州鉄道記念館は、かつての九州鉄道の本社ビル。九州の鉄道史資料や、SLなどの古い車両が展示されている。
駅から出て左手に港があり、下関への連絡船や海峡遊覧船が出航している。宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島へも船で10分。ただし島には飲食店どころか雨風をしのぐ施設もほとんどないので、寒い時期には要注意。関門橋近くの水域は、源氏と平家が戦った壇ノ浦の古戦場だ。
連絡船が着く下関・唐戸桟橋の近くには唐戸市場がある。ふだんは水産物の卸売市場だが、週末の昼前には、一般客向けに海鮮類の丼や握りずしが露店形式でずらりと並んで壮観。関門のふぐ(現地では「ふく」)は今が旬、門司・下関どちらでも味わうことができる。
東京から新幹線で小倉まで4時間50分、小倉から鹿児島線で15分。下関市・唐戸桟橋から連絡船で5分。