2005年02月06日(日) 02時27分
また練炭集団自殺 三浦、伊豆で9人(産経新聞)
インターネットを通じて知り合ったとみられる若者らの集団自殺が後を絶たない。五日も神奈川県で六人、静岡県で三人の男女が、いずれも車の中で練炭を使い死亡しているのが見つかった。このうち東京在住の男子大学生(22)は「自殺系」と呼ばれるサイトを通じた自殺の呼びかけ人の一人で、昨年十月には本紙の取材に応じ、「本当は死にたくない」などと語っていた。周囲は、車の鍵を取り上げるなど行動に目を光らせていたが、「死なないで」の声は届かなかった。
神奈川県三浦市の農道では午前七時五十分ごろ、ワゴン車内に男女三人ずつ計六人が倒れているのが見つかった。司法解剖の結果、三日夜に死亡したらしい。車内に練炭が入った七輪四個と自殺をほのめかす三人のメモがあった。
三崎署によると、六人は東京都大田区の私立大四年の男子学生(22)▽東京都目黒区の無職女性(21)▽東京都調布市の無職女性(40)▽横浜市旭区の会計事務所職員の男性(25)▽東京都品川区の男子専門学校生(20)▽栃木県出身の女性(30)。四十歳の女性は睡眠薬の錠剤を手にしたままの状態で、「人生に疲れました。葬式はしないでください」などと記したメモを所持していた。
いずれも携帯電話を所持していたが、うち五人のものは、通話やメールの送受信記録、住所録がすべて消去されていた。
一方、静岡県東伊豆町では午後一時十五分ごろ、乗用車内で男女三人が死亡しているのが発見された。
下田署によると、三人は免許証などから、目黒区の男性(52)▽横浜市南区の女性(29)▽東京都杉並区の女性(34)と判明した。練炭を燃やした七輪や遺書らしいメモがあった。
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■取材で知り合った大学生/「死なないで」、声は届かず
神奈川県で集団自殺した六人のうち、私立大学の男子学生(22)と取材で会ったのは、昨年十月下旬のことだった。その数日前に一人で練炭自殺を図ったという彼は、昨年末にも「自殺予告」のメールを送った後、思いとどまったと話していた。それは心の奥からのSOSだったのか。
彼のハンドルネームは「ゆう」。埼玉県で起きた男女七人の集団自殺をきっかけに自殺系サイトの取材を進め「企図者」(呼びかけ人)の一人だった彼にメールを送った。「直接会って話を聞いてもらえますか」。そう返事が届き、都内の駅前で待ち合わせた。
自殺志願者と思える様子はうかがえなかった。着慣れないスーツ姿で、穏やかに、きちんと敬語を交えながら話す。だが、彼の言葉に衝撃を受けた。「数日前に車で練炭自殺を図ったんです。次は絶対成功させたい。でも、本当は死にたくない」
矛盾する言葉。死ぬ理由は、知人女性二人のけんかだという。「僕が死ねば二人は仲直りできる」。取材は四時間に及んだが、切迫した事情はうかがえなかった。
「僕はおかしいんでしょうか?」。彼はそう尋ねた。「数週間前から所々記憶がない。彼女が『一緒に死のうと言われた』って言うけど、覚えてない」
自殺者の多くが「心の病」を患っている。私は専門家の話を紹介し、精神科の受診を勧めた。
彼の交際相手の女性や幼なじみの男友達とも会った。彼の中には四つの人格があり、取材に応じたのは、自殺を止めようとする人格なのだという。力を合わせて彼の通院を支援しようと話し合った。
彼と同居する両親や兄弟らは、彼の別人格に戸惑っていた。通院を後押ししながら、車の鍵を取り上げ、生活態度に目を光らせた。だが、彼は別名で再び自殺系サイトに仲間を募っていた。発信元を突き止めた警察が、家族に監視の目を強めるよう指導していた。
やがて彼は通院を拒み始め、昨年十二月二十六日、自殺予告のメールを私に送ってきた。家族にも行き先は告げていなかった。母親は言った。「あの子がもう少しずぶとければ、人間関係でこんなに気に病むこともなかったかもしれない。生きているでしょうか」。心配をよそに数日後に帰宅した彼は、メールでこう知らせてきた。「気が付いたら大勢が集まっていた。怖くなって逃げてきた」
今回、彼はついに帰らぬ人となった。
留守宅には四日、大学から卒業が決まったとの連絡が届いていた。「生きていなければ仕方ないのに」。祖母はそう悔やんだ。その言葉を今、彼に伝えるすべはない。(日野稚子)
(産経新聞) - 2月6日2時27分更新
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