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母親は帝王切開手術を受けていた。産声が上がった。元気な女の赤ちゃんだ。その直後、手術室に看護師が飛び込んできた。「津波がくる」。スリランカ南部の都市ガール。スマトラ沖大地震による巨大な津波が、インド洋をわたって押し寄せた。
昨年12月26日。ロヒニ・デシルバさん(28)は未明に血圧が高くなり、救急車でマハモーダラ病院に運ばれてきた。出産予定日より2週間早い。サマルシンハ医師(36)は帝王切開で赤ん坊を取り出すことにした。
スマトラ沖の海底で午前7時(日本時間午前10時)前に巨大な地震が起きた。しかし、千数百キロ離れたガールでは人が感じる揺れもなく、手術が始まった。
午前9時24分。2300グラムの女児が誕生した。
その2分後。腹部の2針目を縫い終えたところで、手術室のドアが突然開いた。駆け込んできた看護師が叫んだ。「先生、津波がきます」
浜辺から100メートルのところに病棟があり、手術室はすぐそばの小高い丘の上にある。停電。暗くなった手術室に「病棟が波に襲われた」という声や、大勢が逃げ惑う気配が伝わってきた。
局部麻酔で意識があったロヒニさんは「早く縫って」と泣き叫んだ。
サマルシンハ医師は、赤ん坊を救急車で内陸の別の病院に送る手配をした。手元にあった二つの喉頭(こうとう)鏡のライトをつけ、同僚医師に渡して腹部を照らしてもらった。「怖がることはないよ」。ロヒニさんに話しかけながら、15分かけて25針を縫った。
手術を終えて屋外に出た。空は青く、日差しがまぶしかった。津波は丘の上の手術室には届かなかったが、低いところにある3階建ての病棟は1階の天井まで海水につかっていた。
浜辺の家屋はなぎ倒され、がれきの山となっていた。ぐったりした幼児を抱きかかえて男性2人が走ってくるのが見えた。患者や病院職員計556人は病棟の2階や裏山に避難し、奇跡的に全員無事だった。
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夫のシャーマンプラサッドさん(31)は初めて生まれてくる子どものために、アラブ首長国連邦のドバイに出稼ぎに行っていた。
ホテルの従業員仲間がテレビを見て惨事を教えてくれた。夜の飛行機にとび乗り、27日朝、コロンボの空港に着いた。
タクシーに乗った。ガールに向かう約110キロの幹線道路は大渋滞していた。車の中から見えるはずの海岸の集落がすっかり消えている。「生きていてくれ」。ひたすら祈った。
ロヒニさんの妹(26)と弟(25)は27日朝から姉の行方を捜し、いくつもの病院を回った。廊下に寝かされている遺体の顔を一体一体のぞき込んだ。「丸一日で、1500体余りの遺体を見たと思う」
母子は同じ病院に収容されていた。シャーマンプラサッドさんが対面したのは28日朝のことだ。
「よくやった」
ベッドの妻は何も言わずに涙を流した。新生児室のガラスのケースの中で、赤ん坊はすやすや眠っていた。
病院には遺体やけが人が絶え間なく運び込まれ、看護師たちは忙殺されていた。妹がロヒニさんの母乳を哺乳瓶に移し、赤ちゃんに飲ませた。
親類8人も行方不明になったロヒニさんは、病室に張ってある仏像の絵を毎日拝んだ。
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1月1日、母子は退院した。海岸から7キロの自宅は無事だった。赤ちゃんの名前は、キリスト教徒のシャーマンプラサッドさんが親類の神父に頼んで、2カ月前から考えてもらっていた。
エンジェラシェハニ。 天使の意味だ。食事や水に不自由するときもあるが、親類たちがカレーなどを持ち寄ってくれる。
13カ国で犠牲者が15万人を超えた大津波。スリランカでは3万人が死亡し、サマルシンハ医師は今も大勢の被災者の治療にあたる。「あの母子の様子を3日に見に行った。赤ちゃんの笑顔を見て、新しい命が生まれたことを実感できた」
ロヒニさんは娘を見やりながら、「津波の中で手術を続けてくださった先生には、お礼の言葉もありません。この子には大きくなったら、人の命を救えるお医者さんになってもらいたい」と話した。
(01/08 10:57)