記事登録
2008年11月29日(土) 22時51分

“魔術師”との名コンビ 名馬トウショウボーイ産経新聞

 一世を風びしたトウショウボーイと、テンポイント。競馬史上に残る名馬2頭は生涯で6度対戦し、トウショウボーイが4度先着した。中でも2度にわたる有馬記念の対戦は、ライバルにとって因縁深いレースとなる。

 先勝したのはトウショウボーイだった。1976年。馬を巧みに操り“魔術師”の異名を持つ武邦彦騎手と初めてコンビを組んだ。武が騎乗依頼を受けたのはレース2週間前。大レースを間近に普通なら躊躇(ちゅうちょ)するところだが、武は「あの馬のことはビデオを見て研究し尽くしていた」と事もなげに言い切った。若いころから「自分ならこう乗る」と、いつも頭でレースを計算していた名手ならではのことだ。

 その言葉通り、武はトウショウボーイを手の内に入れていた。先行馬の脚色がうかがえる6番手につけ、流れに乗った。14頭が出走したレースはスピリットスワプスがハナを切り、コクサイプリンス、エリモジョージが続いた。3コーナーで2番手に進出すると、直線で持ち前のスピードを生かして一気に抜け出した。ゴール前ではテンポイントとの激しいたたき合いとなり0秒2先着。7年ぶりにレースレコードを更新する2分34秒0で勝った。

 激戦に思わず、クールな勝負師といわれた武もスタンドのファンの前でヘルメットを取り、何度も手を上げ、頭を下げた。2着に敗れたテンポイントの鹿戸明騎手は「展開は理想的だった。3コーナーを一緒にカーブしたところで、前をふさがれ一瞬下がってしまった。全能力を出したので、悔いはない」と無念さをかみ殺した。

 有馬史上初めて4歳馬(現3歳)が1、2着を独占したレースは、有馬史上最高の約171億円を売り上げた。入場券が前売りされていたため、当日の後楽園の場外には17万人が押し寄せたという。

 トウショウボーイはこの年の3冠レースで皐月賞を勝ったが、ダービーは2着、菊花賞はグリーングラス、テンポイントの3着に沈んだ。保田隆芳調教師にはファンの期待に応えられなかった無念さが胸中にあった。それだけに武とがっちり握手し、頭を下げて口に出したのはひと言だけだった。「ありがとう」と。

 ■トウショウボーイ 父テスコボーイ、母ソシアルバタフライ(母の父Your Host)。成績は15戦10勝。主戦騎手=池上昌弘、武邦彦ほか。主な勝ち鞍=皐月賞、有馬記念(1976年)、宝塚記念(1977年)。1976年の年度代表馬。産駒に3冠馬ミスターシービーなど多数。

【関連記事】
新庄の仰天計画…歌手に馬主に画家にパフューマー!?
マーシュサイドが出走取消 ジャパンカップ
ユタカ手術必要なし!HPで年内復帰に意欲
衝撃の走り ディープインパクト、飛んだ
馬券1日800万円…「建材試験センター」で1億3000万円着服

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081129-00000553-san-horse