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2008年11月29日(土) 22時28分

ムンバイ同時テロ 犯人の正体は? 背後にちらつく存在産経新聞

 インド同時テロの犯行グループは何者か。断片的に伝えられる情報からは、隣国パキスタンのイスラム過激派の影が背後にちらついてくる。現地と欧米での報道を基に犯人像を探った。(岩田智雄)

 インドのシン首相は、犯行グループが近隣国に拠点を置く武装グループだと非難し、ムカジー外相は「パキスタンの勢力が襲撃に関与した」と指摘している。

 29日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は米情報当局者やテロ対策当局者の話として、カシミール地方に拠点を置くイスラム過激派「ラシュカレトイバ」か「ジェイシモハメド」の犯行であることを示す証拠が多数見つかっていると伝えた。ただし、当局者らは、パキスタン政府が犯行に関与した証拠はないとしているという。インド情報当局者は同紙に対し、犯行グループは国外の携帯電話を使い、外国から通話を受けていたと証言した。

 また、同日付の米紙ワシントン・ポスト(電子版)は、拘束した犯人の一人がラシュカレトイバのメンバーで、この組織に訓練を受けたと供述したと報じた。

 事件直後、ホテルから逃げ出した客らの証言によると、犯人らは20代とみられる若者が中心で、Tシャツやジーンズ姿の者もいた。インドでの報道によると、拘束された21歳の男はきれいにひげをそり、流ちょうな英語を話した。別の報道では、拘束されたある男はウルドゥ語を話し、言葉のなまりからパキスタン・パンジャブ州のファドリコット出身だとみられている。

 犯行グループはホテルなどを襲撃するに際し、入念な準備をしていた。

 28日付のタイムズ・オブ・インディアによると、犯行グループのうちの9人が、ムンバイ市内に数カ月も前からアパートを借りて住み着き、襲撃先となったタージマハルホテルなどをしばしば偵察に訪れていた。ほとんどがパキスタン人だったが、マレーシア人を装っていたという。

 襲撃直前、グループのうち8人が海から上陸した。沖合でインドのトロール漁船を乗っ取り、船長らを殺害した後、沿岸まで接近、黒や黄色のゴムボートで上陸した。襲撃に加わった数は計16人だとしている。英BBC放送(電子版)によると、犯行グループは上陸後、2〜4人の4班前後に分かれ、鉄道駅やレストラン、ユダヤ人施設、病院を襲撃した後、2つの高級ホテルなどに立てこもった。

 ホテルを包囲したインド治安部隊は、犯行グループの制圧に60時間も要した。「軍人か、訓練を受けた特殊部隊要員のような動きを見せた」(ヒンドゥスタン・タイムズ紙)からだ。

 一部は、事前にホテルにチェック・インし、ホテル内をくまなく撮影してもいた。犯行グループはホテルの構造に精通しており、特殊部隊さえ存在を知らなかった隠し扉を通って、中に潜伏した。フロアからフロアへ火を放ちながら移動、手投げ弾やAK47自動小銃の扱い方も相当の訓練を積んでいたようで、手慣れたものだった。ホテル内には「司令室」(米CNNテレビ)まで置かれた。

 現場から見つかった犯行グループの所持品は、犯行が十分に組織化され、準備されたものだったことを示している。リュックから出てきたものは、50発ずつの弾丸が隠された6、7冊の雑誌、衛星電話、クレジット・カード8枚、現金1200ドルと6000ルピー(計約12万6000円)、長期戦に備えるための食糧のアーモンド…。このほか、犯人グループはプラスチック爆弾や自動式の武器などまで使用し、特殊部隊をてこずらせた。

 こうした犯行グループの手法を29日付の英紙フィナンシャル・タイムズ・アジア版は、国際テロ組織アルカーイダの手法と比較して論じている。米国人や英国人を標的にし、同時多発的に襲撃する点はアルカーイダと同じだが、航空機や自爆作戦を使うのではなく、銃や手投げ弾を使うゲリラ的な手法は20〜30年前にみられたもので、「基本に戻っている」という。

 専門家は同紙に対し、「爆発物を作るよりも小火器を使ってテロリストを訓練した方が、はるかに容易で、銃は爆発物よりも移動させやすい」と、テロリストの戦略の変遷を指摘している。

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