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2008年11月27日(木) 00時00分

<上>法壇の重責 想像以上読売新聞

慣れてたはずの裁判、なのに…
法壇から弁護側の冒頭陳述に耳を傾ける酒井記者(左から4人目)(26日午前、札幌地裁で)=山本高裕撮影

 一般市民が刑事裁判に参加する裁判員制度のスタートがいよいよ来年に迫った。私たちにも、有罪か無罪かなどという難しい判断を下すことができるのか。26日に札幌地裁で開かれた、架空の殺人事件を審理する「模擬裁判」で、一足早く裁判員を体験してみた。(酒井麻里子)

    ◇

 ◆模擬裁判の「殺人事件」概要 『札幌市中央区のスナック店で、経営者のAさん(当時35歳)が共同経営者のB被告(37)と口論になり、Aさんは左胸を包丁(刃渡り約20センチ)で刺され死亡した。検察側は、B被告が「殺そうと思って刺した」として殺人罪で起訴した。』

 札幌地裁で最も大きい8階の5号法廷。普段は裁判官しか上がることが許されない「法壇(ほうだん)」は、想像以上に低かった。

 ところが、緊張しながら裁判員席に着くと、高い位置から見下ろしているわけではないのに、体格のいい被告の男が小さく見えた。普段は傍聴席から背中しか見ることはないが、ここからは表情なども手に取るように分かる。

 「被告人は前へ」。裁判長が命じると、被告は陳述台の前に立った。うつむき加減とはいえ、正対すると被告が迫ってくるように感じられた。

 被告の氏名、住所を裁判長が確認し、検事が起訴状を朗読。被告側が起訴事実を認めるか、争って無罪を主張するかを明らかにする「罪状認否」を行う。

 罪状認否で被告は、「もみ合っているうちに誤って刺してしまった」とボソボソとした声で語った。

 聞いた瞬間、疑問を持った。緊張しているにせよ、本当に殺していないのなら、もっと真剣に訴えるのではないか。これはウソかもしれない。でも、もしこれがウソではなくて、判断を誤って有罪にしてしまった場合、被告の人生はどうなるのか。無罪主張の公判を取材した経験はあるが、自分も判決に加わると思うと、責任の重さがまるで違うことを痛感させられた。

 検察側は、傷が心臓まで達していたとして被告の殺意を強調。弁護側は、2人がもみ合っているうちに、包丁が刺さってしまったとして無罪を主張した。

 「普段から口論が多く、この日もいつものことかと思った」。被告の背後から一部始終を目撃していたという常連客は、被告が「ぶっ殺すぞ」とどなって包丁を振り上げて刺したと証言した。なるほど、それなら検察側が主張する強い殺意も納得できる。

 しかし、店にいた被告の妻は、「ぶっ殺す」とは聞いていないという。被告人質問で被告も「包丁で脅かそうと思っただけ」と改めて殺意を否定した。

 どちらが正しいのか。言い分を聞いているだけでは判断がつかない気がした。

 証拠調べの後、検察、弁護側双方が最終意見を述べる。そして、裁判員と裁判官が別室で量刑などを話し合う「評議」に進む。

 「懲役15年を求刑します」。検事は論告で「犯行は短絡的かつ身勝手」と厳しく断じた。証拠調べは約1時間半で終了。

 これで有罪、無罪を判断し、量刑まで決めることができるのか。不安な気持ちを抱えたまま、裁判官らと2階の評議室に向かった。

(つづく)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1227770797408_02/news/20081127-OYT8T00484.htm