記事登録
2008年11月23日(日) 23時31分

<元次官宅襲撃>実家捨て転職重ね…小泉容疑者、流転の軌跡毎日新聞

 「元事務次官を殺した」と小泉毅容疑者(46)が警視庁に出頭した5時間ほど前の22日午後4時半ごろ、山口県柳井市の実家に電話があった。

 「おやじ、おれ」

 「毅か。元気にやっちょるか」

 「手紙を送った。明日の正午ごろ着くはずだから読んでくれ」

 「よし、分かった」

 それだけの会話だったが、10年も音信が途絶えていた長男の声を久しぶりに聞き、父(77)はうれしくなった。「嫁でもつかまえたか。やったな」。手紙を待ち遠しく思いながら床に就いた。

 しかし、ほどなくテレビを見ていた妻に起こされる。元厚生事務次官宅連続襲撃事件の急展開を知らせるニュース番組で、長男の名前が繰り返し読まれていた。「まさか」と思いつつ、長男宅に電話した。「お客様の都合でおつなぎできません」と自動音声が流れるだけだった。

    ■

 小泉容疑者は1962年1月、柳井市で駄菓子屋を営む両親の間に生まれた。三つ下の妹と4人家族。父には幼いころ手がかかった記憶はない。地元の高校に進み、佐賀大理工学部電子工学科に現役で合格した。

 しかし、入学後、歯車が狂い始める。留年を重ねた末に退学。大学に呼び出された時、父は息子を責めなかった。「アルバイトに精を出し過ぎたのか」と思い、「人生は長いからしっかりやれ」とだけ伝えた。

 上京した小泉容疑者は、コンピューターソフトの開発会社に入社する。父は「前途洋々だ」と喜んだが、2、3年で退社。その後は別のソフト会社を転々とし、横浜で宅配便のアルバイトをしたこともあった。このころから実家との連絡は間遠になっていく。

 駄菓子屋をたたみ、食品の卸売業を細々と営んでいた父は、広島市の食品卸会社での仕事を勧め、小泉容疑者も従った。1年後の電話では「おやじの後を継ぐため、今は小郡町(現山口市)で修業している」と言った。

 3年ほどたった98年夏ごろ、実家に顔を出した小泉容疑者は「埼玉に行く」と告げた。インターネットでコンピューター関連の仕事を見つけたと言った。父の商売の売り上げは年間二、三千万円、利益は15%程度。「おれが継いでも共倒れになる」。淡々と話した小泉容疑者は30分ほどで出て行ったという。

 それから10年。両親は息子の声を聞けなかった。電話はいつも留守番設定されていた。「元気にやっちょるか」と伝言を残し、地元の大島みかんを送ってやるとメッセージを吹き込んだこともある。母は何度か手紙も書いた。だが、一度も返事はなかった。

    ■

 <今回の決起は年金テロではない! 34年前、保健所に家族を殺された仇(あだ)討ちである! (略)最初から逃げる気はないので、今から自首する>

 22日夜、テレビ局のホームページに小泉容疑者の書き込みがあった。2時間後、小泉容疑者は警視庁に出頭した。「ペットを保健所に処分されたから」。動機についてそう供述した。

 父が覚えているのは、自宅で飼った「シロ」のことだ。小泉容疑者が拾ってきて小学2、3年まで育てた白い雑種犬。寿命で死んだ時、泣く息子を慰め「運命なんじゃから」と一緒に木を1本植え、墓を作った。

 もう1匹。「保健所」について尋ねる記者に、父は記憶の糸を手繰った。「小学生のころだったか、野良犬を餌付けしてかわいがっていた。人に激しくほえるので保健所に電話して連れていってもらった」。そして戸惑うように聞き返した。「息子はそんなことを覚えているんですか」

 父にあてた息子の手紙は23日夜、届いた。父は記者に「中身は言えない」と言った。【三木陽介、内田久光】

【関連ニュース】
元次官宅襲撃:TV局HPに年金テロ否定書き込み 本人か
元次官宅襲撃:こんな悪いやつ、まさか息子が…容疑者の父
元次官宅襲撃:硬骨漢と慕われた山口さん…部下ら惜しむ
元次官宅襲撃:厚生省、保健所所管せず 筋違いの怒り?
元次官宅襲撃:小泉容疑者の自宅などを殺人未遂容疑で捜索

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081123-00000096-mai-soci