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2008年11月22日(土) 11時23分

元次官宅連続襲撃犯に迫る警察捜査「N」「ビデオ」産経新聞

 政治的なテロか。個人的恨みか。埼玉と東京で元厚生事務次官らが連続して殺傷された事件は、手口や現場に残された足跡などから同一犯との見方が強い。「年金」などを軸とした政治テロであれば何らかのメッセージが発せられておかしくないが、犯人は沈黙。かといって被害者側に恨まれる理由は見当たらない。政府高官OBと家族を標的にした前代未聞の凶悪事件。この許し難き犯人に、警察はあらゆる捜査技術を駆使して迫っている。

■イメージでチェック■ 犯人は山口さん宅を土足で歩いた 1階見取り図

 ■連日動いた犯人


 さいたま市南区別所の住宅街は県庁に近く、県や県警の幹部公舎も多い。その一角に、元厚生次官の山口剛彦さん(66)と美知子さん(61)の自宅はあった。

 広い敷地で、手入れが行き届いた植木が茂る邸宅だ。隣に住む美知子さんの姉の夫が、山口さん宅の「異変」に気づいたのは18日午前10時15分のことだった。

 いつもは朝になると開いている雨戸が閉められたままだったのだ。

 不審に感じた姉の夫は玄関に近づくと、扉の下をつたい、玄関から血が外に流れていた。無施錠の扉を開けると、玄関の土間部分に山口さん夫妻が血を流して仰向けで倒れていたのだ。

 山口さん夫妻は胸を数カ所刺されており、すでに死亡していた。埼玉県警は浦和署に捜査本部を設置。元次官夫婦が殺害されたという重大事件とあって、テレビの夕方のニュースは事件を伝える報道で一色に染まった。

 ちょうどそのころだった。

 「宅配便です」

 午後6時半ごろ、山口さんの自宅から直線で約15キロ離れた東京都中野区鷺宮の元厚生次官、吉原健二さん(76)の妻、靖子さん(72)は玄関先で宅配便を名乗る男の声を聞いた。

 玄関の外にいたのは年齢30〜40歳。身長約165センチでつばのついた帽子をかぶり、作業服を着て、箱のような物を持っていた。靖子さんは、なんの疑いもなく扉を開けた。

 その瞬間、靖子さんは胸と腹に痛みを感じ出血しているのに気づいた。宅配便を装った男に刺されたのだった。

 情報はすぐに山口さん事件を捜査する埼玉県警に伝えられた。

 「参考ですが、中野区でも元厚生次官宅が襲われけが人が出ています」

 県警の捜査本部は警視庁からの情報を受けて緊急配備を敷くとともに、警察庁を通じて厚生労働省に元職を含む幹部の住所をリストアップさせる異例の措置を取り、「第3の犯行」への警戒に当たった。

 殺人事件は連続テロの疑いが強まった。


 ■家族をも躊躇なく刺した犯人の神経は?


 山口さん夫妻の遺体は18日に発見されたが、犯行は17日午後6時台とみられている。

 これまでに明らかになった事件当日の動きはこうだ。

 室内から、午後5時半ごろに自宅近くのスーパーで買い物したことを示すレシートが見つかった。さらに自宅にあった山口さんの携帯電話は、午後5時51分に美知子さんの携帯に電話をかけた履歴を示していた。

 このため、少なくとも6時前には2人のうちのどちらかが外出していたとみられる。

 「ワー」

 「ウー」

 午後6時半から同50分までの間に、近所の住人が争うような声を聞いた。住人は「声は10〜15秒間にわたって山口さん宅から聞こえた」と県警の捜査本部にも証言した。

 司法解剖の結果では、山口さんの胃に内容物はほとんどなく、美知子さんも微量だった。食材がダイニングに置かれていたこともあり、犯行は夕食前の午後6時台とみられるのだ。

 「午後6時台」という犯行時間帯は、東京・中野の吉原さんの事件と時間が重なる。

 さらに、美知子さんの遺体のそばにインク内蔵型の印鑑が落ちていたことが判明。吉原さんの事件と同様に犯人は宅配便を装った疑いが濃厚だ。

 美知子さんはドア側に倒れており、犯人と抵抗した際にできる傷(防御創)がなかったことから、ドアを開けた直後に刺され、次に騒ぎを聞きつけて駆けつけた山口さんも玄関で襲われたとみられる。

 埼玉県警の幹部は言う。

 「犯人は躊躇(ちゅうちょ)なく美知子さんを刺し山口さんも殺害した。そして翌日には再び吉原さん宅で犯行を起こした。とても正気とは思えない」

 

 ■「年金」絡みなのか

 

 「主人が狙われているかもしれない。危ない」

 靖子さんは救急車で搬送される際、こう語ったという。山口さんの事件直後に襲われたことに、狙いは夫の吉原さんと感じたのかもしれない。

 実際、山口さんと吉原さんの経歴には共通点が多い。

 ともに東大法学部を卒業し、旧厚生省のエリートポストの年金部局を中心にキャリアを積んでいった。

 地方自治体への出向先もともに三重県だった。昭和59年6月から60年8月までの14カ月間は、吉原さんが年金局長、山口さんが年金課長という直属の上司と部下の間柄だった。

 2人は年金を安定的に運用する「基礎年金制度」の導入という年金大改革を断行した立役者で、山口さんは吉原さんの後を追うように事務方のトップに就任した。

 「厚生省、とりわけ年金を象徴するような存在だった」(厚労省職員)

 近年、年金を巡っては、記録漏れや厚生年金記録の改竄(かいざん)など不祥事が相次いだ。2人の経歴からすると「年金」が犯行動機になってもおかしくはない。

 医事評論家の水野肇さんもこう指摘する。

 「年金の恨みが人を殺傷するところまでいくだろうかという疑問は残る。だが、共通点を考えれば、年金不祥事が事件の動機になっていることは間違いないだろう」

 

 ■カネ抜き取った?

 

 「犯人は年金問題に義憤を感じ、『年金の象徴』でもある山口さんと吉原さんを殺害することが目的だったのだろうか。現場から読み取れる犯行動機は、少し違うのではないか」(捜査関係者)

 吉原さん宅の事件では、靖子さんを刺した後、廊下やリビングに土足で上がり込んだ形跡があった。当時吉原さんは不在で、「ターゲット」を探したとみることもできる。

 だが、山口さん宅の事件では、犯人は山口さん刺殺後も血が滴る刃物を持ったまま玄関から土足で上がり、ダイニング付近まで侵入していた。最初から家族全員を殺害することが目的だった疑いもでてきたのだ。

 「年金」が動機であるならば、家族全員まで巻き添えにする必要があるだろうか。

 さらに、埼玉県警の調べで、山口さん宅には物色した形跡がなかったものの、室内から発見された2つの財布の中にお札がなかったことも判明した。スーパーで買い物した帰りだった美知子さんが札を使い切って帰ってきたとは考えにくく、犯人が犯行後に抜き取った疑いが強い。

 となると、動機は「カネ」なのか−。

 これまでに犯行声明も出されておらず、背景に政治的意図があったか疑問視する声が警察内部にあるのも事実なのだ。


 ■機能するか“捜査の武器”


 殺人事件では、被害者の人間関係から動機を探る「カン」の捜査と、遺留品などから犯人に結びつける「ブツ」の捜査の“相互作用”が重要になってくる。

 「カン」の捜査でいうと、山口さんと吉原さんとにこれまで個人的なトラブルは浮上しておらず、動機も不明なままだ。

 一方で、「ブツ」についても犯人に直結する凶器は未発見だ。現場付近では帽子やジャンパーなどが捨てられているのが見つかっているが、犯人のものかは定かでない。

 両現場から検出されている足跡には、いずれもスニーカーのような模様がついているが、種類が異なっており、山口さんの事件後に犯人が靴を捨てた可能性もある。捜査の決定打となるような証拠品は乏しいのが実情だ。

 「カン」と「ブツ」に乏しいが、警察当局が容疑者浮上に期待を寄せているのが、人間と科学の「目」による捜査だ。

 両現場では黒いワゴン車の目撃情報が一致。吉原さん宅近くの路上では、犯行7時間前の18日午前11時半ごろに、黒いワゴン車が停車し野球帽の男が乗車しているのが目撃されている。

 さらに、いずれの現場も環状7号や国道17号といった幹線道路に近く、Nシステム(自動ナンバー読み取り装置)で両事件の犯行前後に同じナンバーの車が通行していたことが確認できれば一気に捜査線は動く。

 警視庁と埼玉県警では、駅やコンビニなど周囲の防犯ビデオも解析。15キロ離れた2つの地点で同じ男が映っていれば、点が線となる。

 県警捜査員は言う。

 「地道な捜査を続ければ、必ず犯人に結びつく」

 警察の威信をかけた捜査が続いている。

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