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2008年11月22日(土) 20時24分

【法廷から】「私を絞めて!」…老いらくの恋の悲しい結末産経新聞

 「1日に5回も6回も死にたいと言うんです」

 今年9月、病気に苦しむ内縁の妻=当時(69)=に頼まれ、スカーフで首を絞めて殺害したとして、嘱託殺人罪に問われた無職の男(65)は、大阪地裁で20日に開かれた初公判で涙を流しながら訴えた。

 都会の片隅の文化住宅で身を寄せ合い、20年近くの歳月をともに生きてきた2人。人生の晩年でようやく生涯の伴侶(はんりょ)を得たはずだったが、愛情にあふれた日々に終止符を打ったものとは…。

 検察側の冒頭陳述や被告人質問などから浮かび上がった「老いらくの恋」のストーリーをたどると−。

 大阪府東大阪市の住宅街にある2階建て文化住宅。17年前、同じ2階の西端と東端の部屋にそれぞれ1人で住んでいた2人は、顔を合わせればあいさつする程度の関係から、お互いの部屋を行き来するようになり、親密な関係になった。

 転機が訪れたのは約3年後。内妻の体調が急激に悪化したのだ。

 じっとしていられないほどの激しい頭痛や不眠症。足腰も弱まり、トイレに行くのもままならなくなった。何カ所もの病院を訪れ、治療を試みた。しかし医師の診断はあいまいな「自律神経失調症」だった。

 男が内妻の食事や洗濯など、身の回りの世話をする生活が始まった。銭湯へ行くのも難しくなると、男は風呂がある1階の部屋にわざわざ転居、内妻を風呂に入れ、オムツ替えまでするようになった。

 大量の薬を飲み続けても内妻の体調は回復せず、介護の日々が十数年続いた。

 内妻が「死にたい」と言い始めたのは今年7月ごろ。目や耳までも利かなくなり、食事を取るのも1人でできなくなっていた。市販の頭痛薬も必要になり、生活保護を受給していた2人は経済的にも苦しくなっていた。

 「おれも一緒に死んでやるから」

 自分の体力の衰えも実感し、将来を悲観した男は9月3日、心中を決意した。

 「自分で首を絞めるけど、うまくできなかったら『あかん』て言うから、そのときは絞めて。私が冷たくなるまであんたは死んだらあかんよ」

 その日の夜。内妻は男にそう言って、自分のスカーフで首を絞めた。やはり力が出ず、「あかん」と男に絞めるよう懇願した。男は首に巻き付いたスカーフを強く絞めて殺害した。

 男は内妻が冷たくなったのを確認し、約50錠の睡眠薬を焼酎で飲んだ。しばらくして意識を失った。目を覚ましたのは病室のベッドの上だった。

 初公判に出廷した男は、黒いトレーナーに黒いズボン姿。やつれた表情で証言台の前に立った。

 男は起訴事実を全面的に認め、被告人質問で涙ながらに内妻と過ごした日々を振り返った。

 弁護人「内妻は具体的にどんな症状でしたか」

 男「ずっと頭が痛いと。それからのどの空洞が曲がっていて…。水がのどに詰まるんです。最近は耳も目も悪くなって。胃はとっくに全部取ってますし。腰もひざも痛くて、オムツもつけて」

 弁護人「食事やその他の家事は」

 男「私が全部やっていました」

 弁護人「どんな人でしたか」

 男「人に優しかった。ご飯があまっていたら分けてあげたり。けんかもしましたけど、私にも精いっぱい尽くしてくれました」

 弁護人「死にたいと言い出したのはいつごろ」

 男「7月末ぐらい。1日に5回も6回も死にたいと言うんです」

 弁護人「一緒に死のうと思い始めたのはいつ」

 男「1週間前ぐらいです。それまでは考えていなかった。自分が今、こんなところにいるとは思ってもいなかった」

 弁護人「死ぬのを決意した日は何をした」

 男「家賃や電気代がたまっていたので払ってから死のうと。当日は彼女を美容院に連れて行き、自分も散髪に行きました」

 最後の“儀式”だったのだろう。2人は生活保護が支給された翌日、滞納していた家賃と電気代を支払い、身の回りも自身もきれいに整えたという。

 弁護人「それから何を」

 男「市場にユリの花を買いに行きました。花が好きな人で、特にユリが好きだと言っていたので。バラも一緒に買いました」

 弁護人「今はどうしたいのか」

 男「いろんな人に迷惑をかけて申しわけないと思っています。1日も早く墓参りがしたいです」

 倒れていた男とすでに死亡していた内妻を見つけたのは、週に一度、母親の様子をみるため文化住宅に来ていた長女だった。

 事件のあった翌日、母親の部屋を訪れるとテーブルに「ごめん」などと書かれた遺書が残されており、男の部屋に駆けつけたのだ。

 男のことを「おっちゃん」と呼び、病気がちな母親を大切にしてくれることに日ごろから感謝していたという長女。公判での証人尋問でこう証言した。

 「お母さんも、おっちゃんを厳しく処罰してほしいとは思っていないと思うんです。顔を見たらそう思いました。警察も苦しまずに亡くなったと言ってくれました」

 「母を十数年間も見てくれたのと同じように、おっちゃんには近くに住んでいただいて、できるだけのことはしたいです」

 ただ、母親が男の手によって殺されたことはまだ受け止め切れないのか、「心中する前に私に相談してほしかった」と複雑な心境を吐露した。

 それでも、長女は男に処罰を求めなかった。

 「おっちゃんは加害者でもあるけど被害者でもある。もう罪も償っていると思う。だから私は罪を重くとか軽くとか言う立場ではありません」(津田大資)

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