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2008年11月21日(金) 19時15分

小室哲哉逮捕と格差社会ツカサネット新聞

音楽プロデューサーの小室哲哉氏は2008年11月4日、音楽著作権の譲渡をめぐる5億円の詐欺容疑で、大阪地検特捜部に逮捕された。日本の音楽シーンに一時代を築いた大プロデューサーの転落は夢を抱きにくい日本の格差社会の閉塞感を象徴する出来事でもある。

マスメディアの報道では小室氏の浪費癖に焦点が当てられているが、困窮の原因は香港での事業の失敗により莫大な負債を抱えたことである。仮に浪費がなかったとしても、小室氏が金銭に窮することに変わらない。絶頂期の生活レベルを落とさなかったことを原因とする見方は、あまりに表層的である。

日本は格差社会に入ったと言われて久しい。資本主義を前提とする限り、貧富の差は存在する。逆に言えば貧富の差を否定したいならば資本主義そのものと戦わなければならない。しかし資本主義を肯定する立場からも格差社会は批判される。それは一度生じた格差を拡大し、固定化させてしまうためである。即ち、格差社会では金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏になる。しかも金持ちの子は金持ちに、貧乏人の子は貧乏のままと固定化する。

この意味で金持ちの家が金持ちであり続けることは格差社会の制度的恩恵に浴している。一方で財産を保ち続けることは傍から見るほど簡単ではない。財産を維持し続けることは、それを守る能力があることを意味する。財産があると、それを奪おうと襲いかかる人間達が決まって登場する。金持ちであり続けたいならば、どこからか財産の匂いを嗅ぎつけて近付いてくる連中を瞬時に見破る能力が求められる。

そして小室氏に決定的に欠けていたものは、この能力であった。金持ちであり続ける家の人間は意識的であれ、無意識的であれ、この能力を身につけている。だから金持ちであり続けられる。この能力を身につけられなかったことが一代で躍進した小室氏の限界であった。

日本ではマネー教育というと投資信託のような資産運用ものばかりであるが、財産の獲得や増加ばかりでなく、財産を失わないための知恵について社会的に教育することに重点を置くべきである。一部の金持ちだけが財産を失わない知恵を継承する一方、庶民は一攫千金を夢見て無駄な消費を繰り返すという状況では、日本経済の景気回復に乗せられるだけで格差は固定化するだけである。

窮乏した小室氏は他の金持ちから奪う側に転落してしまった。そこには自己の隙の甘さから他人も同様に隙が甘いだろうとする安直さがあったように思われる。ここには自分の過去の失敗を直視するのではなく、事態を打開することのみを考える無反省な前向きさが感じられる。焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むだけの発想は随所で行き詰まりを見せている。小室氏の悲劇は日本社会の閉塞感に通じるものがある。

前に進むだけではなく、失敗しても無反省に再チャレンジを目指すのでもなく、失わないことを大切にしていく社会になれば、人間を不幸にするとまで酷評された日本社会も少しは住みやすくなる。そのようなことを小室氏の逮捕から考えた。


(記者:林田 力)

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