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2008年11月16日(日) 01時54分

<旧日本兵>那覇の墓地で3人の遺骨・遺品発見、遺族探す毎日新聞

 太平洋戦争末期の沖縄戦で激戦地となった那覇市真嘉比(まかび)の墓地から、旧日本兵とみられる3人分の遺骨と3人の姓が刻銘された所持品が一緒に見つかった。沖縄の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(壕(ごう)を掘る人の意)が遺族を探している。代表の具志堅隆松さん(54)は「遺骨と所持品が一緒に見つかる例は少なく『古里に帰してほしい』との将兵のメッセージと思う。ぜひ遺族に返したい」と話している。

 墓地の東約2キロに沖縄守備軍司令部が置かれ、墓地付近の高台では首里防衛の要として日本軍が徹底抗戦した。1945年5月12日からの1週間に、米軍側だけで約2660人が死傷した。

 今年6〜8月、ガマフヤーと那覇市が募集したボランティアが遺骨収集し、遺骨とヘルメット、未使用の手りゅう弾などを見つけた。その中に「西田」の刻銘がある水筒▽「眞木」と刻まれた石けん箱▽「久我」と書かれた将校用飯ごうのふたがあった。

 ガマフヤーは沖縄県平和祈念資料館などに照会し、部隊名簿などから▽水筒は栃木県の西田宇吉さん▽石けん箱は富山県の眞木清次郎さんか佐賀県の眞木春美さん▽飯ごうのふたは東京都の久我久雄さんか佐賀県の久我元至さん−−のいずれかの所持品ではないかとみている。遺骨はすぐそばで見つかっており、所有者らしい。遺骨、所持品とも現地に仮安置されている。

 遺骨収集に携わって25年以上になる具志堅さんによると、日本軍が敗走した本島南部に行けば行くほど、遺骨と氏名が刻銘された所持品が一緒に出てくることは少ないという。「追いつめられ、混乱する中で自分の所持品を失った将兵が多いのでしょう。名前が書かれた物と遺骨が一緒に見つかるケースは何年に一度あるかないかのケース」と話している。具志堅さんの連絡先は090・3796・3132。【三森輝久】

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