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2008年11月16日(日) 19時18分

一刻の猶予もない拉致家族 市川修一さん母、トミさん死去産経新聞

 北朝鮮による拉致被害者の家族がまた1人、再会を果たせないまま亡くなった。家族から30年以上も幸せを奪い、いまなお、新たな「悲しみ」を家族に与え続ける北朝鮮。解決に背を向ける非道さが、改めて浮かび上がる。

 15日午後、拉致被害者、市川修一さん=拉致当時(23)=の母、トミさんが、くも膜下出血のため亡くなった。91歳だった。10日の朝、「頭が痛い」と訴え、自宅で突然倒れて入院。帰らぬ人となった。

 修一さんは昭和53年8月、デート中だった増元るみ子さん=同(24)=とともに、鹿児島県・旧吹上町(現日置市)の吹上浜で拉致された。

 以後、トミさんの前ではタブーとなった修一さんの話。それが変わったのは平成7年。韓国に亡命した元工作員が「修一さんを見た」と証言してからだ。

 北朝鮮は平成14年9月の日朝首脳会談で「死亡」と伝えてきたが、トミさんは「修ちゃんは生きている」と気丈だった。修一さんのスーツを虫干しし、今年新築した自宅には、修一さんの部屋も造った。

 今年5月の「母の日」には、ランの鉢植えをプレゼントされ、「修一もおじさんになっただろう。私が元気なうちに早く会いたい」と絞り出すように話した。

 突然訪れた母の死。修一さんの兄、健一さん(63)は「普通なら大往生だが、修一に会わせてやれなかったのが残念で仕方ない」と涙ぐんだ。

 年齢を重ね、体力的な衰えは他の家族も同じだ。るみ子さんの父、正一さんや、修一さんの姉、渡辺孝子さんらも再会かなわず亡くなった。署名、講演などで必死に救出を訴える家族だが、親世代にとって負担は年々重くなっている。

 トミさんが亡くなった15日はくしくも、横田めぐみさん=同(13)=が拉致されてちょうど31年目の日だった。

 めぐみさんの母、早紀江さん(72)は「いつまでも解決できないことに怒りさえ感じる」と話す。

 元気なうちに子供、兄弟を抱きしめたい…。命を削る思いで活動する家族には、一刻の猶予も残されていない。(住井亨介)

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