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2008年11月12日(水) 12時57分

【元Vシネ女優2回公判ライブ】(4)「ハワイで挙式をあげる予定でした」証言台で相思相愛を主張産経新聞

 《衣里被告が日常的にけがをしていたことを裏付けるように、今度は別の病院の受診記録が明かされる》

 弁護人「これは○○大学病院での受診記録について問い合わせた際の回答書です。被告は頭部外傷で2度受診していますが、1回目は右前頭部2センチほどの傷を縫合。2回目も縫合処置を受けています」

  ■写真&法廷ライブ■ 元Vシネ女優の傷害致死事件〜公判の全記録

 《頭部を縫うほどのけがを負ったこともあるという衣里被告。続いて、弁護人は藤家さんの診療記録についても説明した》

 弁護人「これは藤家さんの眼科受診記録です。平成16年12月24、25日に受診し、診断は左眼球打撲と左結膜裂傷。結膜縫合などの治療を受けています」

 《前日の証人尋問で出廷した鑑定医は「藤家さんが携帯(電話)を衣里被告に持たせて目を殴らせ、その後眼科で手術することになったことがあると聞いた」と証言したが、そのときのけがだろうか。続いて、「右手小指骨折」と診断された整形外科の記録も表示された。藤家さんも衣里被告に負けず劣らず、けが続きだったようだ》

 《ここで弁護側の説明が終了。裁判長が「被告人質問に入ります。被告は前へ」と告げると、衣里被告はゆっくりと証言台へ移動し、軽く頭を下げて着席した。初めに女性弁護人が立ち上がる》

 弁護人「まず、経歴を教えてください」

 衣里被告「モデルをしておりまして、卵巣嚢腫(のうしゅ)になり、それから父の会社で働いておりました」

 《衣里被告は一語一語、確かめるように答えた。人前に出る仕事をしていたためか口調も丁寧だが、淡々とした印象も受ける。衣里被告はモデルのほかに、ビデオ専門映画の女優をしていたことでも知られる》

 弁護人「藤家さんと知り合ったのはいつごろですか」

 衣里被告「私が19歳か20歳のころだったと思います」

 弁護人「交際はいつごろから始まりましたか」

 衣里被告「22歳ごろからです」

 弁護人「どういうお付き合いだったのでしょうか」

 衣里被告「真剣にお付き合いしていました」

 《藤家さんが死亡するまで、10年近く交際していたという2人。衣里被告のきっぱりとした口調からは、真剣な交際であったことが伺える》

 弁護人「結婚の予定はあったのですか」

 衣里被告「彼は自分の病気を知り『残りの人生は衣里とハワイで過ごしたい』と言っており、ハワイで挙式をする予定でした」

 弁護人「いつごろ挙式される予定だったのですか」

 衣里被告「すでにハワイに住んでいる彼の友人夫妻に会うために、2月8日から行く予定でした」

 《藤家さんは、末期の肝硬変で医師から余命1年と宣告されていた。ハワイで2人きりの余生を送っていたかもしれないと考えると、今回の事件はあまりにも皮肉な結末だ。当の衣里被告は、淡々と話を続ける》

 弁護人「藤家さんとはどのくらい会っていましたか」

 衣里被告「ほぼ毎日会っていました。平成19年6月から彼は生活保護を受けていて、生活保護で家を借りていたので、夜は私の家に泊まりに来るという半同棲的な生活をしていました」

 弁護人「平成19、20年当時、藤家さんはどのような生活をしていましたか」

 衣里被告「朝から寝て起きるたびにウィスキーをサワーで割って一気飲みし、眠れないということで(精神)安定剤や導眠剤(睡眠導入剤)も飲んでいたので、ほぼ一日寝ているという感じでした」

 弁護人「藤家さんは2回入院していますね」

 衣里被告「はい。いずれも私が救急車を呼んだんですが、アルコール依存症とアルコール性肝硬変のためです」

 弁護人「いつごろですか」

 衣里被告「(平成19年)6月5日からアルコール依存症治療のため入院し、9月21日に退院しました。2回目は10月8、9から10月24日と記憶しています」

 弁護人「あなたは入院中、どうしていましたか」

 衣里被告「土日はほぼ毎日、病院に通っていました」

 《入院中も献身的な介護を行っていたことを説明する衣里被告。相思相愛だったはずの2人の関係は、どこで行き違ってしまったのだろうか》

     =(5)に続く

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