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2008年11月04日(火) 02時31分

<ドイツ兵捕虜>収容所所在地住民と音楽で交流…記念碑建立毎日新聞

 第一次世界大戦(1914〜18年)中、ドイツ兵の捕虜収容所があった千葉県習志野市で4日、捕虜と地元住民との音楽を通じた交流を記念する石碑「オーケストラ碑」が建立される。収容所では捕虜たちによるオーケストラ演奏会が盛んに開かれ、招かれた住民たちに親しまれていた。除幕式は大戦の90回目の終戦記念日に当たる11日に開かれる。【袴田貴行】

 「習志野俘虜(ふりょ)収容所」は1915〜20年に設置されていたが、当時の軍部の方針もあり捕虜たちは自由な余暇活動が許されていた。戦前、中国・上海でバイオリン奏者として活躍しその後、日本軍の青島(チンタオ)攻略戦で捕虜にされた音楽家のハンス・ミリエス氏(1883〜1957)が収容所内で「捕虜オーケストラ」を結成。ベートーベンやモーツァルト、ヨハン・シュトラウスらの名曲を披露していた。

 石碑が建立されるのは、収容所のあった同市東習志野の児童遊園の一角。収容所跡は現在、住宅街になっており市教委が3月に「習志野の貴重な歴史を後世に伝えよう」と設置を決めた。ところが、記念碑に埋め込む予定だった市所蔵の収容所の写真について、7月に研究者から「習志野ではなく、青野原収容所(兵庫県)の写真ではないか」との指摘があった。他に適当な写真がなく、事業は暗礁に乗り上げた。

 収容所の資料収集を続けている同市教委社会教育課の星昌幸さん(49)が、以前から手紙のやりとりを続けている元捕虜、故アルトゥール・プロッツェさんの長女ローゼマリー・オクセンドルフさん(80)=ドイツ・ダルムシュタット在住=に相談したところ「父がお世話になった日本の街に記念碑ができることは、遺族にとってもうれしい」と協力を約束。幼い日の記憶を頼りに弟の家の倉庫を捜し、オーケストラの写真を見つけて8月に市へ郵送してきた。

 碑はレンガ造りで高さ1.4メートル、幅2.3メートル。中央に写真をプリントした金属板と捕虜オーケストラの概要を記した碑文を埋め込んだ。碑の両脇には、ドイツ兵が収容所内で育て、帰国時に近くの農家に苗を託し、今も千葉市内の農家が栽培するツツジの花を植える。星さんは「終戦から90年の節目に、習志野の歴史を伝えるモニュメントを作ることができ、感慨深い」と話している。

 ▽習志野俘虜収容所 第一次世界大戦の戦中から戦後にかけ、旧陸軍が現在の千葉県習志野市に設置した収容所。参戦した日本は、ドイツの植民地だった中国・青島を攻略しドイツ、オーストリア・ハンガリーの兵士ら約4700人を捕虜にした。国内10カ所の収容所へ送られ、習志野では約1000人が暮らしていた。

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