記事登録
2008年11月03日(月) 00時13分

バーミヤン遺跡の大仏の色は青と赤 独調査隊が確認中国新聞

 【バーミヤン(アフガニスタン中部)2日共同=安井浩美】アフガニスタン中部バーミヤン遺跡で、二〇〇一年に当時のタリバン政権が爆破した東西二体の大仏がかつて、それぞれ灰色がかった青と赤褐色に彩られていたことが二日までに分かった。破片の回収と修復保存を担当する国際記念物遺跡会議(イコモス)のドイツ調査隊が、大仏の一部や破片から塗料を確認した。

 アフガン中部の地理を記した十世紀の文献で東大仏は「灰色の仏陀ぶっだ」、西大仏は「赤い仏陀」と記され、これと合致する重要な発見。七世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書「大唐西域記」で西大仏を「金色」と表現しており、その後はがれ落ちるなどして下地が露出した可能性が高い。ただ、創建当初から彩色されていたとの見方もある。

 調査隊によると、六世紀初めごろの建立とされる東大仏(高さ三十八メートル)の右手の下にある衣の部分から、アフガンで産出される群青色の宝石「ラピスラズリ」と石こうを混ぜたとみられる、灰色がかった青の彩色が確認された。

 六世紀中ごろ建立の西大仏(同五十五メートル)では、赤土や酸化鉛を使った塗料で着色したとみられる赤褐色の破片が多数見つかった。濃淡に差があり、調査隊は「土に白や黒などの顔料を混ぜ、複数の赤を作り出したとみられる」としている。

 また東西大仏の双方で、黄色など他の塗料が残る破片が少数見つかり、それぞれの大仏が青と赤を基調に複数の色で彩られていた可能性もある。

 バーミヤン遺跡に詳しい前田耕作まえだ・こうさく・和光大名誉教授(アジア文化史)は「大仏はかつて金色だったとされるが、採取された色と異なる。どういう経緯で色落ちしたのか、玄奘の記述の再検討とともに採取試料の分析が待たれる」と話している。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200811030127.html