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2008年11月03日(月) 22時52分

清朝末期の光諸帝、死因はヒ素中毒…中国各紙伝える読売新聞

 【北京=杉山祐之】3日付の中国各紙によると、清朝末期のミステリーとされる光緒帝(在位1875〜1908)の死因を2003年から調べてきた中国のプロジェクトチームは、2日、「同帝は急性の胃腸性ヒ素中毒により死亡した」と発表した。

 各紙は「これで毒殺が定説になった。しかし、誰が殺したかは謎のままだ」と報じている。

 清末の改革を進め、最高権力者の西太后(1835〜1908)に幽閉された光緒帝は、100年前の1908年11月に30代の若さで突然死。その翌日に西太后が病死した。皇帝の異常な死を巡って、これまで毒殺説と自然死説が並存してきた。

 国家清史編纂(へんさん)委員会、中国原子力科学研究院などからなる同チームは、光緒帝の遺髪、衣服などを調査し、致死量をはるかに上回る猛毒の三酸化ヒ素を検出した。また、毒の残留状況や文献記録などから、慢性中毒ではないとの結論を出した。

 「毒殺の首謀者」については、古くから、西太后や、後に清朝を倒し、中華民国大総統になる袁世凱(1859〜1916)らの名前が挙がっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081103-00000036-yom-int