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2008年11月03日(月) 21時34分

百済で作られた青銅菩薩立像が出土、熊本の「鞠智城跡」で読売新聞

 熊本県教委は3日、同県北部の国史跡の古代山城(さんじょう)「鞠智(きくち)城跡」(山鹿市、菊池市)で青銅製の菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)が見つかったと発表した。

 顔立ちなどの特徴から朝鮮半島の古代国家・百済で7世紀後半に作られたのはほぼ確実という。百済の青銅仏像は国内では初めての出土。

 菩薩像は全長12・7センチ、幅3センチで、頭飾と肩から足にかけて垂らした天衣(てんね)を着け、横から見るとS字を描くような姿勢。先月23日に貯水池遺構北端の深さ約1・5メートルの地中で見つかった。

 4世紀中頃、朝鮮半島南西部に興った百済は大和朝廷と友好関係にあり、百済から多くの渡来人が文化を運んだ。大和朝廷は663年、百済を支援した白村江の戦いで、中国・唐と朝鮮半島の国家・新羅の連合軍に敗れ、逆襲に備えて7世紀後半に鞠智城を築いたとされるが、菩薩像の年代は鞠智城の築造時期とも符合するため、築城に携わった身分の高い百済人が持ち込み、仏堂に安置したか、携帯していたとみられる。

 古代史の資料「六国(りっこく)史」の記述や百済系瓦の出土例などから、鞠智城は百済の亡命貴族の指導で築城されたと考えられており、県教委は「今回の仏像発見で、築城に百済の技術が用いられたことを裏付けた」としている。▽大西修也=おおにし・しゅうや

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081103-00000032-yom-soci