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2008年11月02日(日) 17時41分

フランク永井さん死去…波瀾万丈の人生 運転手から売れっ子に産経新聞

 米軍の運転手から身をおこし、独特の低音で売れっ子になったものの、その後はヒット曲に恵まれず、自殺未遂も−。先月27日に死去していたことが分かった歌手、フランク永井さんの人生はまさに波瀾(はらん)万丈だった。近年は、表舞台から遠ざかっていたが、昭和を代表する歌手を惜しむ声が相次いだ。

 歌手をめざして上京後、芝浦の米軍キャンプでトレーラーの運転手をしていたが、事故で退職。生活費を稼ぐために、賞金目当てでのど自慢に出場するとともに、米軍のクラブ歌手として働いた。その歌声が認められ、昭和30年にデビュー。「フランク」の芸名は、 クラブ時代に米国人から呼ばれていたニックネームからとったという。

 独特の歌唱方法について、「ほとんど先生らしい先生につかず、いわば自分のカンを頼って歌ってきた」と話していた。

 30年代から40年代にかけてヒット曲を連発するが、その後はヒットに恵まれず58年には、常連だったNHK紅白歌合戦に“落選”。不遇の中、60年10月に、自宅で首をつって自殺未遂を起こした。一時は危機的な状態に陥り、退院後も後遺症に悩まされた。

 低音ブームの仕掛け人で、「有楽町で逢いましょう」などを作曲、公私にわたって親しかった吉田正さんの妻、喜代子さんは「フランクあっての『吉田メロディー』でした。安らかにおやすみ下さい」とコメントした。

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