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2008年10月26日(日) 11時55分

「送別行事」か「集団暴行」か 1対15格闘訓練で海自3曹死亡 産経新聞

 「はなむけ」か「集団暴行」か−。海上自衛隊第1術科学校(広島県江田島市)で、特殊部隊の養成課程にいた男性3等海曹(25)が死亡した格闘訓練の“真相”はいぜん謎がつきまとう。3曹1人が15人と次々と対戦する過酷極まりない訓練を、海自調査は「送別行事」だったとの見方を強めているが、それが行われるようになった背景や当日の様子、同僚の証言などからは単なる「事故」ではすまされない実態も浮かび上がるのだ。


 50秒闘って10秒休み×15セット…残り2人でダウン


 「防具をつけろ」

 9月9日午後4時40分。第1術科学校の体育館に教官の声が響き渡った。3曹は防具とグローブをつけ、レスリングマットの中央に立った。

 闘う相手は特殊部隊「特別警備隊(特警隊)」の同僚である学生15人。3曹を取り囲むように、等間隔でマットに並んだ。

 これから始まる「連続組み手」と呼ばれる1対多数の徒手格闘訓練に3曹はどんな気持ちで臨んだのだろうか。

 徒手格闘訓練は陸上自衛隊で発祥した柔道と空手を合わせたようなもので、パンチやけり、投げ技を繰り出す。通常は1対1で行われ、「1対15というのは前代未聞」(海自幹部)だ。

 3曹の相手となる15人の同僚は交代で1人ずつマットに上がった。対戦時間は1人につき50秒。その後の10秒で対戦相手が交代し、その間、3曹は呼吸を整える。だが、全力を出しての勝負を終えた後、体力と精神力を回復させるには10秒という時間はあまりに短い。ひとつの格闘が終われば、また次の格闘が始まり、3曹からは体力と気力がみるみる失われていった。

 「4、5人目のころから蹴りが出なくなった。蹴りを出す元気がなくなったと思った」

 居合わせた同僚はこう証言する。それでも3曹は耐えた。

 「ガードを上げろ」

 10人目ぐらいになって、防戦一方の3曹に教官が指示した。いわれたように、何とかガードを固めたが、この時点で同僚の目には「バテたかな」と映っていた。

 残り2人。3曹は強烈な右フックを浴びた。

 「後ろに座り込むような感じで倒れて、手を借りて立ち上がり、足がもつれる感じで右前方に倒れた」(同僚)

 最後までたどり着くことなく、3曹は沈んだ。

 「やめ! 防具をはずせ」

 ようやく教官が徒手格闘訓練を止めた。訓練開始からわずか15分後。倒れたまま動くことができない3曹の防具を同僚らがはずした。

 「ウッ…」

 意識はなく、うめき声が漏れるだけだった。

 3曹はすぐに病院に搬送されたが、16日後の9月25日に死亡した。死因は急性硬膜下血腫。頭に繰り返し強い衝撃を受けたことが原因だった可能性が強いという。

 「同じ釜の飯を食ってきた同僚との“最後の訓練”をやり抜くという一心だったのではないか…」

 最後の徒手格闘訓練について、3曹と同世代の海自隊員は、そう話した。


 「はなむけ」の格闘は恒例行事…前歯かけ、唇縫った学生も


 「辞めたい」

 3曹は7月の時点で養成課程を外れたいと直訴した。教育担当の小隊長に慰留され、一度は踏みとどまったが、8月ごろ辞める決意を固めた。格闘訓練の2日後には、潜水艦部隊に戻ることが決まっていた。

 「落伍者への制裁行為」

 「見せしめのための集団暴行」…

 事故発覚後、こんな見方が広がったのはそのためだ。

 いじめが原因とみられる自衛隊員の自殺が増加していることも、その見方を助長した。

 しかし、海自呉地方総監部の事故調査委員会が同僚学生や教官らの聴取を進めると、1対15の格闘訓練は送別行事だったことが浮かび上がってきた。「はなむけ」としての格闘訓練の起源は、特警隊本隊にあることも判明した。

 「格闘部では転出する隊員に連続組み手を伝統的に行ってきた」

 3曹が死亡した訓練を監督していた教官(2曹)の証言だ。格闘部は特警隊の同好会で、別の部署への異動に伴い所属隊員が退部する際、送別の儀式として1対5、多い場合は1対10人弱といった方式で徒手格闘訓練を実施していたという。

 この慣習が特警隊の養成課程に持ち込まれたというのだ。

 死亡した3曹と同様に養成課程を離脱する学生の送別行事として格闘訓練を行うよう、2曹の教官が提案したのがきっかけだった。

 「はなむけ」を受けた経験のある元学生はこう証言する。

 「16人を相手にするのはきついなぁと思ったが、送別としてやってくれるなら受けて立とうと思った」

 このときの格闘訓練には、死亡した3曹も16人のうちの1人として参加していた。

 元学生の証言によると、3、4人目との対戦から無我夢中の状態になり、組み手の状況もよく覚えていないという。格闘中に前歯が欠け、欠けた歯で唇を2針縫うけがも負った。

 そんな訓練の過酷さとは裏腹に、元学生の感想は意外なものだった。

 「仲間と最後にこぶしをまじえ、仲間意識を共有できた」

 「残る者に正対して、『ありがとう。都合で辞めるけれど』との言葉は、全員が泣けるものだった」

 はなむけの格闘訓練は、送り出す側の学生にも心地良い余韻を残したようだ。

 「(1対多数の訓練のことを)教官から初めて聞き、きついだろうなと思ったが、伝統だからやるべきもの。そういうこともあるんだなと感じた」

 別の学生はこう証言しており、学生の間に課程を辞めていく同僚への格闘訓練は、「恒例」行事として定着しつつあったことを示している。

 実際、死亡した3曹に対する訓練は、学生の方から教官に提案していた。訓練当日、提案者の学生が3曹に訓練を受けるかどうか意思を確認したところ、3曹は「やる」と応じたのだという。

 その2日前、3曹は同僚にマウスピースを買ってきてもらってもいる。事前に学生の間で格闘訓練の実施が話し合われていたか、それとも3曹は5月の訓練を踏まえて自発的に準備していたのだろうか。

 いずれにしても、3曹が「やらない」といえる雰囲気ではなかったことが浮かび上がっている。


 3曹の格闘技量は初歩レベル…それでも「ノー」といえず


 「2日後に異動予定だった3曹に(訓練を)行う必要性は認めがたい」

 10月22日に防衛省が公表した今回の事故に関する中間報告は、こう指摘した。「(学生の)技量や人数などの点を十分に考慮したとは認められないのではないか」と、安全管理面の不備も明記した。

 訓練に立ち会っていた2曹と幹部自衛官である3尉の教官2人の監督責任についても厳しい文言が散りばめられた。

 「学生の技量は初歩の格闘ができる程度」

 「教官の格闘の指導者としての適格性は今後、調査が必要」

 3曹の徒手格闘のレベルは低く、それを把握しておくべき立場の教官が、1対15という格闘訓練を実施させたことは無謀だった、との認識を示唆した。

 「はなむけ」に参加した15人の認識はどうだったのか。

 中間報告では訓練に関する学生の見方は「必ずしも一様ではなかった」と明記した。「(格闘訓練は)やった方がいいと思っていた。一緒にやってきた者を送り出す記念になると考えていた」。こうした声があった一方、まったく逆の思いの同僚もいた。

 「送別としていつかはやるのだろうという感じであったと思う。3曹がやりたいと言ってやったと聞いているが、疑問が残る。少なくとも、(3曹が)やらないといえる雰囲気ではなかった」

 送る側からもこうした言葉が出たということに、今回の事故の核心部分が垣間みえる。送別行事ではあるにせよ、格闘訓練が半ば強制的に行われた可能性は排除しきれない−。

 そうであればこの問題は「事故」ではなく、「事件」になってしまう。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081026-00000519-san-pol