記事登録
2008年10月26日(日) 03時39分

【橋下徹研究】茶髪弁護士の誕生 自己アピール産経新聞

 「2万パーセントありません」。先月下旬、次期衆院選への出馬の可能性を問われた大阪府知事の橋下徹(39)はテレビカメラの前でそう言って笑ってみせた。昨年12月に知事選への出馬をめぐり前言をひるがえしたときと同じ答え。その表情からは「マスコミさんもこの言葉がほしかったんじゃないですか」という思惑がありありだった。

 今月19日に陸上自衛隊伊丹駐屯地で唐突に朝日新聞批判を繰り広げたことについても、「自衛隊の対極にいる朝日を批判するのに最適の場だと思った」と“計画的”な発言だったことを明らかにし、同社の教育報道に対するスタンスに異議を唱えることが目的だったとしている。

 「計算せず発言するなんて、単なるバカですよ」「府民の関心を向かわせようと思ったらエンターテーメント性が大事」。就任以来そう繰り返し、過去の暴言、失言も計算ずくであることを強調する橋下。就任直後に、市町村長会の場で流した涙も、「あれだけメディアに取り上げられてもらったのだから、最初から考えていたと思われても構わない」と述べている。

 自らも認める計算高さと用意周到さ。その生き方はテレビのコメンテーター時代というよりも、それ以前の弁護士時代から抜きんでていた。

  ×   ×

 「このたび、私、橋下徹は弁護士として…」。平成9年春、そんなあいさつ状が橋下の卒業した府立北野高校や早稲田大学のOB宅に相次いで届いた。2年間の司法修習を終えて弁護士登録したばかりの橋下が、自身の売り込みのために送ったものだ。

 当時を知る司法修習の同期生は「新人弁護士は、アピール用のはがきを出すよう所属事務所などから勧められるが、普通は親戚や友人などせいぜい100枚程度。彼は何万枚も出したと言っていた。卒業生名簿を取り寄せて、見ず知らずの人に手当たり次第に送っていたようだ」。

 別の同期生は、橋下が法曹サークルなど複数の勉強会に積極的に顔を出していたと証言する。ただ、修習生時代に「興味のない講義は流していた」ともいわれる橋下が、弁護士になって突然心を入れ替えたわけではないという。

 同期生は「知事に失礼な言い方かもしれないが」と前置きしつつ、「ヤマっ気が強いというんでしょうか。『人脈を広げなければ商売にならない』『きっかけを探して一発当てたい』が口癖だった。絶対に興味のなさそうな護憲団体の学習会のようなものにまで参加して、自分の名刺を配り歩いていた」。

 当時、消費者問題の勉強会で橋下とばったり会った別の弁護士は、橋下が漏らした軽口が忘れられないという。「どうっすか、ここの団体、つきあってて何かメリットありますか?」

  ×   ×

 知事就任から8カ月余り。「くそ教育委員会」などの発言や職員らの人件費削減、当初危ぶまれた議会や市町村との関係も難なく乗り切り、依然高い支持率を維持する橋下。順風満帆にすら見える府政運営も彼の計算通りなのか。

 「よく言えば、ぶれない。悪く言えば目的のためには手段を選ばない」。弁護士時代の橋下を知る同業者らはそう口をそろえる。司法修習時代の末期、「人の下で働くのが嫌だ」と話し、なかなか所属事務所が決まらなかった橋下は、焦る様子もなく、周囲にこう漏らしていたという。

 「どうせ1年で独立するんだから、どこの事務所でも構わない。携帯電話一つあれば、喫茶店の片隅でも、車の中でも弁護士業務はできるんだし。ただ、ノウハウだけは、どこかの組織で学びたいんだよね」

 その言葉通り、1年で独立を果たす橋下。だが、すべて計算ずくのような物言いを、鼻につくと思う人もいる。まだ「茶髪」ではなかった弁護士1年目の橋下が所属し、彼の人生で唯一の“上司”となった樺島法律事務所(大阪市北区)の所長、樺島正法(65)は、橋下について強烈な批判を口にし始めた。 

     ◇

 「最初にふっかけて落としどころを探す」。知事としての橋下の交渉術は、弁護士特有のそれだという声がある。第3部では、「茶髪」でならした弁護士時代に焦点をあてる。(敬称略)

【関連記事】
【戯言戯画】橋下徹知事 人の悪口ばかり言っているのは
「橋下知事辞めねば爆破」大阪府庁に脅迫状
橋下知事、金融機関に中小企業への融資円滑化要請
大阪府、大和川水質ワースト1返上へPT設置
貸し渋りに中小企業悲鳴 全銀協が積極融資方針

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081026-00000507-san-soci