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2008年10月26日(日) 01時12分

<未解決事件>佐賀会社員撲殺 高速道脇の死角、情報なく毎日新聞

 夜の九州自動車道は車のライトでひっきりなしに照らされるのに、側道は田園から広がる暗闇に包まれている。人目を忍んだ「死角」が目撃を減らし、事件解決を阻む。佐賀県鳥栖市の会社員撲殺事件は04年2月の発生から4年8カ月。殺害された入口和俊さん(当時24歳)の両親は月命日の毎月9日、ここを訪れ、もどかしさと怒りを募らせる。【遠藤雅彦】

 遺体の第一発見者は、母親の秀子さん(64)と当時高校生だった和俊さんの妹だった。

 前日の日曜日。和俊さんは知人女性と会うため軽乗用車で外出した。翌朝姿はなかったが、秀子さんは「どこかに泊まって、そのまま出勤するだろう」と気にしなかった。「おーい、起きているか〜、弁当ができているぞ〜」。そう携帯にメールしたほどだった。

 胸騒ぎがしたのは、勤め先の建設機材リース会社から「出てこない」と連絡があってからだ。前日会っていた女性に電話すると、飲食やカラオケを楽しんだ後の午後10時ごろ、「眠いから寝て帰る」と話して別れたと分かった。この女性に聞いた現場の側道に妹と来て、息子の愛車を見つけた。「ここに寝ていたか」。ほっとした。

 ところが、ドアを開けて息子に触って異変に気づいた。「起こすつもりで息子の手をパッと握ったんです。『カズ』って声かけて。そしたら、もう。手がですね。とにかく、すごく冷たくて……。『兄ちゃんは死んでいるよう』って……」

 よく見ると、和俊さんは、黒いビニール袋をかぶらされ、車内に血痕が飛び散っていた。「怖くてもう、ビニールを開けて顔を見ることができなかった……」。秀子さんは声を詰まらせる。車は側溝に脱輪していた。

 現場には、情報提供を呼びかける高さ2メートルの看板が立つ。今月9日、父親の俊(たかし)さん(71)は「(先行きの見えない)事件と一緒に、看板まで見えなくなったら困るから」と、伸びた草をカマで刈った。秀子さんは、自宅に咲いていたコスモスを瓶に生けた。「報告することがないね。申し訳ない気持ちだけど……」。和俊さんが好きだったビールとたばこを供え、2人で手を合わせた。

 両親は、事件が発生した2月が近づくと、毎年JR鳥栖駅前やサッカーJ2サガン鳥栖のホームグラウンド「ベストアメニティスタジアム」などで情報提供を求めるチラシを配る。今年3月には福岡市中心部の天神でも配ったが、なかなか受け取ってもらえず、2000枚用意したチラシの大半がむなしく残った。月日がたち、事件が風化することを心配している。

 俊さんは言う。「犯人は、わずかなカネを盗んで人を殺して幸せなのか。近くでのうのうとしているんやろう。もう私たちの生活は昔に戻ることはない。せめてこの犯人を捕まえてほしい」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081026-00000001-mai-soci