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2008年10月25日(土) 00時16分

「被爆者の気持ち理解してなかった」 「ピカッ」で一問一答中国新聞

 広島市上空に原爆を意味する「ピカッ」と煙で書いた表現行為について、東京の芸術家集団「Chim←Pom(チン←ポム)」リーダーの卯城竜太さん(31)は二十四日、市役所(中区)で記者会見し、経緯や被爆者団体に謝罪した際の気持ちを語った。

 —謝罪の趣旨は。

 事前に被爆者や関係者と思いを共有しなかったことを謝った。悔やまれる。

 —表現行為の意図は何だったのですか。

 原爆ドームと上空に浮かぶ文字を写真とビデオで撮影した。「ピカッ」という文字は、被爆者のトラウマ(心的外傷)の象徴と考えた。人類のトラウマとして残さないといけない、と思った。映像にして、平和について想像させる作品にしたかった。

 —多くの人を傷つける結果が予測できませんでしたか。

 想像はしていたが、問題になった後、市現代美術館の原田康夫館長から聞いた被爆体験は想像を絶していた。被爆者の気持ちを理解しきれていなかった。

 —表現行為をするにあたり、市民の反発を招き、逆に表現の自由を規制する風潮を生みかねないとの懸念を持ちませんでしたか。

 さすがに考えたが、表現の自由を信じる信念から、乗り越えてやるべきだと思った。

 —ヒロシマを学んだことは。

 子どものころ、被爆者の話を聞いたり原爆資料館に行ったりする機会があった。ただ、制作に当たって勉強することはなかった。

 —美術館側とは事前にどのような相談をしましたか。

 四月末、空を光らせる案を美術館に提案した。学芸員は「広島では受け入れられない」との答えだった。その後、飛行機を飛ばし、スモークで字を書く方法を再提案したところ、事前周知をしないまま実行する「ゲリラでやるのがいい」と言われた。

 —作品は十一月から始まる予定だった市現代美術館の個展に展示するつもりでしたか。

 十月に美術館に提出した企画書に「個展出品予定」と書いた。完成後、展示するかどうか美術館に決めてもらおうと考えていた。

 —個展を自粛する理由は。

 こういう事態の中で開くと作品とは関係のない議論が起こる。美術館と相談し、自粛を決めた。(武内宏介)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810250105.html