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2008年10月25日(土) 14時16分

夢の「2億円」が導いた“悪夢” 岩手宝くじ殺人の「被害者と加害者」産経新聞

 2億円の宝くじに当せんした岩手県一関市の無職、吉田寿子さん=当時(42)=が殺害された事件は、交際相手だった元新聞販売員、熊谷甚一容疑者(51)=東京都台東区=との「2億円」の使途をめぐるトラブルがきっかけだった可能性が高まっている。一見優しげな色男と献身的に尽くす女性。2人の間に何があったのか。趣味だった「宝くじ」がもたらした大きな幸運は、2人の人生の歯車を狂わせていった。

 ■なまり交じりで「首を絞めました…」

 10月22日午後8時43分、東京・桜田門の警視庁本部庁舎2階にある取調室。

 熊谷容疑者は岩手県警の捜査員から、殺人容疑で逮捕されたことを告げられた。前日の21日に初めて県警から任意同行を求められてから、2日目のことだった。

 捜査関係者によると、熊谷容疑者は当初あいまいな供述を繰り返していたが、22日になって、なまりのある特徴的なしゃべり方で、徐々に容疑を認めていったという。

 「ひもで吉田さんの首を絞めた」

 県警は供述を受け、熊谷容疑者が以前経営していた岩手県陸前高田市の会社事務所に急行。敷地内の植え込みから、白骨化こそしていないものの、損傷の激しい女性の遺体が発見された。

 突然の失跡から約3年半、吉田さんは変わり果てた姿で見つかった。

 ■無口な吉田さんが熊谷容疑者にだけ見せた“特別な表情”

 関係者によると、吉田さんは岩手県一関市出身。地元の高校卒業後、同市千厩(せんまや)町の通信機器関係会社に就職し、その数カ月後に同僚の男性と結婚したという。

 2人の男児に恵まれ、幸せな家庭生活を送っていた吉田さん。その前にふっと現れたのが熊谷容疑者だった。

 当時の熊谷容疑者は電子部品製造会社の社長。地元の企業関係者によると「はんだ付けなど簡単な仕事を請け負うことが多かった」といい、その取引相手の1つが吉田さんの勤務する会社だった。

 社内で部品管理を担当していた吉田さんと、部品を納入しに来る熊谷容疑者は、10年以上も前から自然と会話を交わす関係だったという。

 もともと熊谷容疑者は女性から人気があるタイプの男だった。

 会社近くに住む女性も「腰は低いし、身なりもきれいでこざっぱりとしていた。この辺にはいないタイプの男だから、女性には人気があった」という。

 普段は無口な吉田さんだったが、そんな熊谷容疑者とうち解けていくうち、徐々に熊谷容疑者の前では普段と違う姿を見せるようになったようだ。

 「吉田さんが熊谷容疑者に部品の組み立てを依頼するときには、社内ではあまり見せない笑顔を見せていた。そこで、あの2人は特別な関係にあるんじゃないかと…」

 元同僚はこう述懐する。

 実際、捜査本部は、2人が5、6年前から親密な関係になったとみている。そのころ吉田さんは2人の子供を残し夫と離婚。会社のそばにある平屋建ての一軒家で1人暮らしを始めるようになった。

 ■「夢を買うのが好き」唯一の趣味だった宝くじ

 物静かで、タバコも吸わない、ギャンブルもしない。一見堅実そうに見える人生を送っていた吉田さんだが、唯一楽しみにしていた趣味。

 それが「宝くじ」だった。

 当時の同僚は、発売時期になると、よく宝くじ売り場に並んで買っていた吉田さんの姿を覚えている。

 「吉田さんに、何で宝くじを買うのか聞いたら、『私は夢を買うのが好きだから』だって」

 平成16年夏、その夢は、現実のものとなった。

 いつものように購入したサマージャンボ宝くじ。そのなかの1枚が、1等賞金2億円の当せん番号を引き当てたのだ。

 元来無口な吉田さんは、宝くじに当たったことを周囲に黙っていた。同僚の女性も「『宝くじが当たったら分けてね』とおしゃべりをしていたが、本当に当たっていたとは」と首をひねる。

 しかし、そんな吉田さんがただ1人、宝くじ当せんの喜びを伝えた人物がいた。それが、交際相手だった熊谷容疑者だった。

 ■愛する男へ“援助” その結末は…

 これまでに、吉田さんは宝くじ当せん直前にも熊谷容疑者に100万円を貸していたことが判明している。

 「吉田さんから『男に100万円を貸した』と報告を受けたから、『誰に?』って聞くと、『あの社長(熊谷容疑者)よー』とうれしそうに答えていた。『簡単にそんな大金を貸すなんて』ととがめたけど、結局お金は返ってこなかったみたい」

 吉田さんから借金の相談を受けていた女性(63)は、当時のやりとりをこう説明する。

 金銭的に困窮する男へ“援助”する女性。2億円という大金を手にし、徐々にその額が大きくなっていったことは想像に難くない。

 これまでに、吉田さんが宝くじを2億円に換金後、熊谷容疑者の口座には不自然な1000万円単位の入金があり、その入金はことごとく引き出されていることが確認されている。

 当時、熊谷容疑者の会社は、工場の敷地の賃貸料をたびたび滞納するなど、厳しい経営を強いられていた。また、消費者金融での個人的な借金も数千万円に上っていたとみられる。捜査本部は、借金の支払いや会社の運転資金に、2億円の相当額が使われた可能性があるとみている。

 ただ、一方で熊谷容疑者が、別の目的で金を使っていたのではないか−との指摘があるのも事実なのだ。

 ■別の“女の影”

 熊谷容疑者が通っていた陸前高田市のスナックの女性経営者に、さまざまな形で“資金援助”をしていたというものだ。その金額は「1億円近い」と説明する関係者もいる。

 熊谷容疑者と女性経営者双方を知る女性によると、女性経営者が新店舗をオープンした日に店を訪れたところ、カウンターの中で従業員に指示する熊谷容疑者の姿があったという。

 「まるで女性経営者の夫のようだったから、熊谷容疑者に『それじゃ店のオーナーみたいじゃないですか』と声をかけたら、『だって、オレが金を出してやったんだから』と言っていた」(女性)

 さらに熊谷容疑者は、女性に対し、「東京で生活する女性経営者の娘の借金や生活費、学費なども出している」などと話すこともあったという。

 ほかにも「熊谷容疑者が女性経営者の自宅改築費用などを出していると聞いたことがある」という飲食店従業員や「熊谷容疑者は女ができたから離婚したと聞いていたので、ここから姿を消したのも、てっきりその女性経営者が原因だと思っていた」と話す知人もいるなど、吉田さん以外の“女性の影”を指摘する声は強い。

 捜査本部では、献身的に貢ぐ吉田さんと、援助に頼りっきりの熊谷容疑者の間で、金銭の使い方をめぐり何らかの形で決定的なトラブルが発生、17年4月下旬ごろに殺害されたとみている。

 熊谷容疑者は、そのまま転落の道を歩み、同年12月には、会社を破綻(はたん)させ、長年連れ添った妻とも離婚。翌18年、すべてを捨て去るように東京に移り住み、同年9月から、東京都台東区の朝日新聞販売店「ASA鶯谷」で働き始めた。

 だが、思わぬところで捜査の手が迫ってくることになるのだ。

 ■容疑者が浮上した端緒は「放置された家具」

 吉田さんの行方が分からなくなって間もなくの17年5月、岩手県警は家族から捜索願を受けた。

 失踪直前は吉田さんが購入した車の納車前の時期。そんな時期に「自らの意志で失踪したとは考えにくい」と、県警は当初から事件に巻き込まれた可能性が高いと判断し、極秘で内偵捜査を進めていた。

 「実は比較的早い段階から熊谷容疑者の名前は捜査線上に浮かんでいた」と捜査幹部は明かす。付近の聞き込みから、吉田さんの交際相手であったことがすぐに分かったからだ。

 しかし、熊谷容疑者と、吉田さんの失踪を結びつける直接的な証拠が見つからず、捜査は難航した。

 事態が急転したのは昨年2月だった。

 熊谷容疑者の会社が事務所として使っていた陸前高田市の建物の2階から、吉田さんの印鑑や通帳、家具などの家財道具が発見されたことがきっかけだった。

 熊谷容疑者は家財道具を持ち込む際、ビルの所有者に「(吉田さんとは別の)知人の女に金を貸したが返ってこない。担保として家財道具を持ってきた」などと話していた。

 しかし、置かれているものが吉田さんの所有物であることを家族が確認。事件と初めて結びつく「矛盾」が表れたことで、捜査は色めきたった。

 ■犯行後も夢の生活は待っていなかった

 逮捕直前の熊谷容疑者は、東京都台東区の大きな通りに面したマンションで、妻とみられるタイ人女性と、娘とみられる女児の3人で暮らしていた。

 「以前のところが狭くて…」と今年8月に移り住んだ部屋は、3LDKで家賃は月16万8000円。「新聞配達員の給与だけでは生活していけない」(新聞販売店関係者)。家賃を支払うため、タイ人女性も献身的に働いていたという。

 億単位の金で派手に暮らしていた形跡はうかがえない。今年2月には、以前生活していた陸前高田市の職員が税金の督促に来た姿をみた知人もいる。

 「服装も派手じゃなくて、金を持っていたようには見えなかった」

 マンション管理組合の男性もこう言って困惑する。

 吉田さんの口座には数千万円が引き出されずにそのまま残っていた。このため、「殺害の動機は当せん金目当てだけではなく別のところにあったことも考えられる」とみる捜査幹部もいる。

 「夢を買う」といって、吉田さんが買い続けた宝くじ。しかし、被害者はもとより、加害者にとっても手にした夢は“悪夢”に過ぎなかったようだ。

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