記事登録
2008年10月23日(木) 10時58分

秋を彩る“朝鮮通信使”パレードOh! MyLife

 10月19日、さわやかな秋晴れもと、呉市下蒲刈島で、“朝鮮通信使再現行列”が行われた。呉市、蘭島文化振興財団、中国新聞社などが主催する文化行事で、今年で6回目という。

他の写真を見る

 朝鮮通信使とは、李氏朝鮮から日本へ派遣された国使の名称だ。その歴史は、室町時代まで遡るが、豊臣秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役)後途絶えていた国交の正常化を目指して、徳川幕府が外交使節団を招いた。これを特に、朝鮮通信使と呼んでいる。

 通信使は1607年から1811年まで、計12回、派遣された。ソウル(当時漢城)を出発し、釜山から対馬に渡り、海路瀬戸内海を経由して大坂に上陸し、陸路中仙道・東海道を経て、江戸というのが主なルートだ。総距離およそ2000キロ。

 一行は“正使”と呼ばれる総責任者のほか、“副使”、“従事官”ら総勢300人〜500人。江戸で国書(国の元首が国名をもって発する外交文書のこと)を交換し、通信使はその道中において各藩により最大の接待を受けたらしい。両国の文化交流に大きく寄与したことだろう。

 広島県呉市下蒲刈町(旧安芸郡)は、朝鮮通信使の寄港地としてもよく知られている。このため、当時の行列を再現したパレードが盛大に行進した。鮮やかな民族衣装をまとった韓国の人々が、曲にあわせて、踊りながら華やかに行進する。

 メインは“正使”を乗せた御輿(みこし)。正使役は、駐広島大韓民国総領事だった。

 その御輿を、日本側の案内役、対馬藩士が先導し、接待役にあたる広島藩士が後ろに続いた。

 総勢250人の行列は、町の中を1キロほど歩き、総合会場の中学校校庭で、朝鮮通信使の正使と日本代表が国書を交換、日韓の親善友好を誓い合った。

 再現行列が行われる下蒲刈町には 松涛園・朝鮮通信使資料館や三之瀬御本陣芸術文化会館、蘭島閣美術館などに、当時の貴重な文献や資料が多数展示されている。

(記者:松原 ただし)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081023-00000001-omn-l34