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2008年10月23日(木) 21時26分

規模は大仏殿に匹敵、新薬師寺創建時の金堂跡が出土…奈良読売新聞

 奈良教育大(奈良市高畑(たかばたけ)町)の構内で、奈良時代(8世紀)の新薬師寺の金堂とみられる大型建物跡が出土し、同大学が23日、発表した。

 建物の基壇(土台)跡は東西54メートル、南北27メートルと推定され、現存する世界最大の木造建築、東大寺大仏殿(江戸時代)に匹敵する。

 新薬師寺は聖武天皇(在位724〜749年)の病気平癒を祈って、光明皇后が創建したとされるが、伽藍(がらん)のほとんどは残っておらず、名刹(めいさつ)の創建当初の様子を知る貴重な発見になる。

 現場は、現在の新薬師寺の西約150メートル。柱を立てる礎石を支えるために敷き詰めた直径50センチ前後の石がまとまって4か所で出土した。柱の間隔は約4・5メートル。また、南側で建物の基壇を飾る凝灰岩の板石(長さ約1メートル、幅約45センチ、厚さ約20センチ)が、断続的に東西1列に並んでいるのを発見。さらに基壇の南東角も確認され、柱の間隔や地形などから建物の規模を推定した。土器や瓦から8世紀半ばとわかった。

 正倉院宝物の絵図「東大寺山堺四至(さんがいしいし)図」に、「新薬師寺堂」が描かれており、位置関係から創建時の金堂と判断した。

 ◆新薬師寺=東大寺の寺誌「東大寺要録」(12世紀初め)によると、747年の創建とされる。金堂は「七仏薬師堂」とも呼ばれ、7体の薬師仏像が安置されていたと記されている。これまで創建時の金堂や塔の遺構は見つかっておらず、伽藍配置や位置などは不明だった。薬師寺とは別の寺院。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081023-00000050-yom-soci