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2008年10月23日(木) 21時07分

<新薬師寺>創建当初の遺構確認 奈良教育大構内毎日新聞

 奈良教育大学(奈良市高畑町)の構内で、奈良時代に建立されたとされる新薬師寺の遺構が見つかり、同大学が23日発表した。文献や絵図から金堂「七仏薬師堂」跡の可能性が高いという。創建当初の遺構確認は初。基壇は推定で東西50メートルを超え、現在の東大寺大仏殿(国宝)に匹敵する。幻の古代寺院の規模や伽藍(がらん)配置を知る上で重要な発見となった。

 聖武天皇の病気平癒を祈り、光明皇后が建てたとされる。発掘現場は現在の本堂の西約150メートル。調査区域の中央付近で、凝灰岩(長さ約1メートル、幅45センチ)の列を3カ所見つけ、最も長いものは東西約10メートルあった。基壇石組の最下段に置かれていた「延石(のべいし)」とみられ、平行して雨落ち溝、自然石も並んでいた。凝灰岩の列の東側では、基壇の東南隅部分も見つかった。

 西側では、柱を置く礎石を下支えする地固め石4カ所も確認し、柱間は東西約4・5メートル。金原正明・同大学准教授(古文化財科学)によると、主要建物部分が9間(柱間が9カ所)、その周囲に小屋根「裳階(もこし)」を支える柱が一周していたと考えられるという。基壇全体の規模は高さ1.5メートル程度、東西約54メートル、南北約27メートルと推定される。

 現地説明会は25日午前10時と午後1時から。少雨決行。【花澤茂人】

 【ことば】新薬師寺

 平安時代に書かれた「東大寺要録」によると、747年に建立。東西の塔など七堂伽藍(がらん)を誇り、金堂の七仏薬師堂には7体の薬師如来像とそれぞれに日光・月光菩薩(ぼさつ)像、更に十二神将像の合計33体もの仏像が並んでいたという。962年の大風でほとんどの建物を失い、以降寺域が縮小。現在は、奈良時代の本堂や十二神将立像(いずれも国宝)で知られる。「新」は「霊験あらたか」の意味で、薬師寺(奈良市)と直接の関係はない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081023-00000096-mai-soci