記事登録
2008年10月20日(月) 05時01分

<皇后さま>74歳誕生日 宮内記者会質問とご回答毎日新聞

 平成20年皇后さまお誕生日の宮内記者会質問とご回答

 問1 今年になって、天皇陛下が、骨粗しょう症の恐れがあると診断され、皇后さまも体調を崩されました。日ごろから健康面で心がけられていることやお二人のこれからの生活スタイルについてのお考えなどをお聞かせください。皇太子妃雅子さまの静養が5年目に入り、皇后さまは昨年の宮内記者会の質問に対して“妃の快復を祈り、見守り支えていきたい”とお答えになりました。特に、心配りされていることはございますか。最近の雅子さまの快復のご様子とあわせてお聞かせください。

 答 陛下のご手術からもう6年近くがたちました。残念なことに、術後再びPSA(前立腺特異抗原)の数値が上昇し、ホルモン療法が始められ、今も続いています。最近の医師の発表にもありましたように、この療法はがんをおさえますが、骨や筋肉に負の影響を与えます。歩くことや運動をすることで、これを防ぐことが大切だと教わりましたが、こうしたことをご一緒にすることで、私の健康も維持されることと思います。これまで通り早朝の散策を続けていますが、陛下のご運動の量をもっとふやすよう指示を受けています。

 後半の皇太子妃の健康についての質問ですが、東宮職より、こうした質問が出されることが妃の快復にとり望ましくない、という医師団の見解が発表されており、私の回答も控えるべきことと思います。ただ、妃は皇太子にとり、また、私ども家族にとり、大切な人であり、「妃の快復を祈り、見守り、支えていきたい」という、私の以前の言葉に変わりはありません。

 問2 今年、皇太子家の愛子さまが小学生になられ、秋篠宮家の悠仁さまが2歳になられるなど4人のお孫さまはいずれも健やかに成長されています。間近でお会いになり印象に残っている出来事などを交えながら、それぞれご感想をお聞かせください。今年に入ってから以前に比べて、皇太子ご一家が御所に参内になられる機会が増えているように見受けられますが、どのように受け止められていますか。

 答 私どもの子供たちが、順々に初等科に入学し卒業していってから、まだそれほど年月がたったとも思われませんのに、その子供である眞子や佳子が既に初等科を卒業し、今年は愛子の入学といううれしい年になりました。悠仁も健やかに成長し、9月には2歳の誕生日を迎えました。

 このごろ愛子と一緒にいて、もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人のちょっとした言葉の表現や、話している語の響きなど、「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると、あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて、そのような時、とても幸せな気持ちになります。

 思い出してみると、眞子や佳子が小さかったころにも、同じようなことが、度々ありました。今記憶しているのは、一緒に読んでいた絵本の中の「同じ兎(うさぎ)でも並の兎ではありません」という言葉を眞子が面白がり、ひとしきり「ナミの何か」や「ナミでない何か」が家族の間ではやったことです。佳子も分からないなりに口まねをしてうれしそうに笑っており、楽しいことでした。

 悠仁とは9月の葉山で数日を一緒に過ごしました。今回は陛下が久しぶりに海で二挺艪(にちょうろ)の和船をこがれ、悠仁も一緒に乗せていただきましたが、船を海に押し出す時の漁師さんたちのにぎやかなかけ声、初めて乗る船の揺れ等に、驚きながらも快い刺激を受けたのか、御用邸にもどって後、高揚した様子で常にも増して生き生きと動いたり、声を出したりしており、その様子が可愛かったことを思い出します。

 東宮や秋篠宮家の参内についてですが、それぞれの家庭にその時その時の事情があり、私どもの日程もかなり込んでいて調整の難しいこともありますが、今後も双方の事情が許す時にはできるだけ会えるとうれしいと思います。

 問3 この1年は、有害物質を含む食品が流通して食の安全が脅かされたり、子供が犠牲になる事件が相次いだりして、国民が不安になる出来事が多かった一方、北京オリンピックでの日本選手の活躍など明るい話題もありました。この1年を振り返って、特に、気にかけられたり、印象に残ったりした出来事について、お聞かせください。

 答 この1年、有害物質を含む食品や事故米の流通をはじめとし、食品の安全性に不信を抱かせられる事件が多く、加えて燃料費の高騰や年金に対する不安もあり、心配なことの多い年でした。米国の金融不安は今も進行中であり、その日本経済に及ぼす影響は多くの人の案ずるところであると思います。

 自然災害では、岩手・宮城内陸地震の被害と共に、夏、神戸市都賀川の川べりで、突然の増水により、川遊びをしていた子供らが亡くなった事故が忘れられません。

 岩手・宮城内陸地震の災害情報を得る中で、死者・行方不明者が集中した宮城県栗原市の耕英地区が、戦後、旧満州から引き揚げ、この地に入植した人たちにより、原生林を切り開いて造られた開拓地であったことを知りました。長い苦労の末やっと安住した土地を離れ、今避難所に暮らす人々の寂しさを思わずにはいられません。この人々を含め、今回両県や近県で被災した人々の上に、少しも早く平穏な日々の戻ることを願っています。

 わが国ばかりでなく、ミャンマーや中国も、サイクロンや地震により大きな被害を受けました。いち早く中国の被災地に入った日本の国際緊急援助隊の活動をありがたく思います。

 イラク、アフガニスタン、スーダンなどで紛争が続く中、今年8月、ロシア、グルジア間に武力紛争が勃発(ぼっぱつ)し、多数の死者が出たことは大きな事件でした。また、この同じ月に、日本のペシャワール会会員の伊藤和也さんがアフガニスタンで拉致され、生命をおとされました。残念で悲しい出来事として記憶に残っています。

 4月に石井桃子さんが101歳で亡くなりました。創作、翻訳、評論、編集、児童図書館や文庫の活動等、文学、とりわけ児童文学の幅広い分野で貢献を果たした先達を追悼いたします。

 喜ばしい出来事も決して少なくはありませんでした。

 4月には日本で、6月にはブラジルで、移民100周年が盛大に行われ、日伯関係が改めて強いきずなを確認しつつ、新しい一歩を踏みだしました。

 地震の被害でほぼ全村民が、一時離村した新潟県の旧山古志村でも、約7割がこれまでに帰村し、この9月には、一昨年の三宅島、昨年の玄界島の時と同じように、陛下とご一緒に村を訪ね、その復興の様子を見ることができました。

 10月に入り、南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さん三方の、そしてその翌日には下村脩さんのノーベル賞受賞が発表されました。同じ科学の分野で、京都大学の山中伸弥教授が新型の万能細胞を、がん化の恐れがあるウイルスを使わずにつくることに成功されたことも、素晴らしいニュースでした。

 北京五輪では、何よりも前回のアテネで入賞し、4年後の今回再び栄誉に輝いた人たちの、この間の計り知れない努力に敬意を表します。期間中、実況やニュースで時間の許す限り競技を見ました。今回は特に陸上の男子四百メートルリレーや、水泳の男子四百メートルメドレーリレーで、走者や泳者が交代する時の引き継ぎの巧みさと、チームの持つ強い一体感に感銘を受けました。

 また、五輪の関係ではありませんが、同じスポーツ分野で記憶に残っていることに、野茂投手と王監督の引退がありました。それぞれが日本の球史に残された足跡を思い、今後も元気に過ごされるよう願っています。

 なお、昨年、陛下とご一緒に訪れた滋賀の紫香楽宮の宮址から、万葉集などでよく知られた2首の歌を記した木簡が出土したことは、非常に興味深いことでした。発掘作業の素晴らしい成果であったと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081020-00000020-mai-soci