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2008年10月19日(日) 13時51分

廃墟のゲルギエフ 情報戦争に加担した巨匠産経新聞

 世界から集中砲火を浴びていたロシアにとって、名指揮者、ゲルギエフのタクトは何よりも雄弁だった。この夏、ロシアが隣国のグルジアに侵攻した「グルジア紛争」。戦闘の発火点となった南オセチア自治州で8月21日夜、ゲルギエフが指揮した追悼コンサートの模様は、戦火による廃虚の映像とともに、広く内外に中継、配信された。

 行政庁舎前に設けられた壇上で、氏は「もし偉大なロシアの助けがなかったら、はるかに多くの犠牲が出ていただろう。人々はここで起きたことの真実を知るべきだ」とロシア語と英語で、ロシアの行動を正当化した。

 紛争は、グルジアが親露独立派地域の南オセチア自治州を武力で再統合しようとし、直接の戦端を開いた疑いが強い。だが、諸外国はロシアが独立派を支援して紛争を誘発し、「自国民保護」を口実に小国グルジアに侵攻した詐術的行動だと強く非難していた。

 この日、ゲルギエフは、第二次大戦期のソ連で広く聞かれたチャイコフスキーの交響曲第5番と同6番「悲愴(ひそう)」に加え、大戦のレニングラード(現サンクトペテルブルク)攻防戦の最中に書かれたショスタコービチの交響曲第7番「レニングラード」を選んだ。ロシア人に戦争の記憶や愛国心を呼び起こしつつ、侵略者ナチスをグルジアに重ねようとしたのか。

 音楽評論家のセゲリマン氏は「ショスタコービチの『レニングラード』は、発表されたソ連時代の文脈を踏まえれば単なるナチス批判よりも広く、全体主義に対する自由の闘いと解釈すべき楽曲だ」との見方を示す。「ゲルギエフは(グルジアを一方的に断罪したというよりも)戦争の人道的な側面、オセット人とグルジア人双方の悲劇を強調した」とも。

 ゲルギエフ自身、ロシア・北オセチア共和国出身のオセット人だ。4年前の北オセチア・ベスラン学校占拠事件に続き、再びオセット人を襲った悲劇に突き動かされるところがあったのかもしれない。他方、氏はプーチン首相(前大統領)の近い友人であり、今回のコンサートもロシア政府の完全な“官製”だった。

 ロシアがゲルギエフの発言とコンサートを「情報戦争におけるロシアの大勝利」と位置づけていることだけは確かである。(モスクワ 遠藤良介)

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