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2008年10月18日(土) 19時52分

米大統領選 激動の終盤、出口見えぬ安保議論産経新聞

 米民主党のパトリック・マーフィー下院議員(35)は、陸軍大尉としてイラク戦争に派遣された経歴を持つ。除隊後に挑んだ2006年11月の中間選挙で、現場での体験を踏まえてブッシュ政権のイラク政策を批判して初当選した。

 「5年前にイラクで受けた軍の命令は明解だった。ひとつはサダム・フセイン(元大統領)の拘束、もうひとつは大量破壊兵器の押収だった。サダムなら捕まえられたが、大量破壊兵器はお手上げだ。もともと存在しなかったのだから」

 ペンシルベニア州最大の都市フィラデルフィアに近いニュータウンで開かれた下院選候補の討論会。再選をめざすマーフィー氏は、ブッシュ政権がイラクとの戦端を開いた根拠の薄弱ぶりを挙げて、次期政権下での16カ月以内の「イラク駐留米軍撤退」を訴えた。

 これを受けて、挑戦者の共和党候補、トム・マニオン氏(54)が反論した。

 「全部06年の選挙で聞いた話ばかりだ。その後2年の成果は無視してよいのか」。米軍がイラクを去る日程は「司令官が算段すればよい話だ。敵にあらかじめ教えてやる必要はない」と言葉を強めると、聴衆からは拍手と抗議のブーイングが同時にわいた。

 マニオン氏も海兵隊大佐の軍歴を持ち、このペンシルベニア州8区は軍人出身の候補が一騎打ちを演じる異色の選挙区となった。さらに挙げるなら、同氏は家族をイラク戦争で失った遺族のひとりだ。

 父と同じ海兵隊将校の道を選んだマニオン氏の息子は、昨年4月にイラク西部ファルージャを哨戒中に、武装勢力の狙撃で26年の生涯を閉じた。イラクの治安回復のため、ブッシュ政権が決断した米軍増派の一翼を担った矢先の悲報だった。

 「サダム・フセインと息子たちは48時間内にイラクを退去せよ」というブッシュ大統領の最後通告で2003年3月から始まったイラク戦争と、それ以降の5年7カ月で、米兵約4170人が死亡した。

 この戦争に対する遺族や帰還兵の反応はさまざまだ。息子の死を機に「反戦の母」となったシンディ・シーハンさんら反戦派もいれば、「対テロ戦争の勝利」を掲げて国政への道をめざすマニオン氏らもいる。ブッシュ政権を激しく批判するマーフィー氏にしても、「私は反戦派ではなく軍の擁護派だ」と語る。

 06年の中間選挙以後、政治の主要な争点に数えられてきた「イラク政策」や「テロとの戦い」も、米軍増派の結果、イラク駐留米兵の犠牲者が急減すると、明確な争点が見えにくくなった。

 撤退期限を明示する政策は、政治的には依然、大きな象徴性を持っている。しかし、イラクの治安回復を受けて余剰兵力を削減し、戦闘が続くアフガニスタンに兵力を増派する政策は、すでに現政権が道筋をつけており、共和、民主両党の政策に実質的な差はない状態となっている。

 冒頭の討論を聞き終えた海兵隊の予備役大尉(28)は、「どの政党がホワイトハウスや議会の多数派を占めても、イラク、アフガンで兵隊に与えられる任務は同じだ」と語った。

 ブッシュ大統領が始めた「テロとの戦い」は、仮に国際テロ組織アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者を捕らえたとしても、すぐに出口が見えることはない。世論調査の数字でも、イラクなど安全保障問題に対する米国民の関心は後退し、この7月以降は「景気対策」「金融危機」が毎回トップという状況が続いている。

 安保問題への関心低下は、この分野を得意としてきた共和党のマケイン候補に痛手となっている。ペンシルベニア大学のラピンスキー准教授(政治学)は、「退役軍人はこれまでマケイン氏支持が強い層だったが、金融危機の衝撃は退役軍人にも及んでいる」と述べ、伝統的に共和党を支えた退役軍人の投票動向が変わる可能性をも指摘している。(ペンシルベニア州ニュータウン 山本秀也、写真も)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081018-00000546-san-int