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2008年10月18日(土) 21時57分

ノーベル化学賞の下村さん、詩人・伊東静雄の教え子だった…産経新聞

 ノーベル化学賞を受賞した下村脩さん(80)の旧制住吉中学(現・大阪府立住吉高校)時代の担任教師が、中原中也や三好達治とともに現代詩を代表する詩人、伊東静雄(1906〜53)だったことがわかり、関係者を驚かせている。下村さんは後に、伊東の出身地でもある長崎県諌早市の諌早中学(現・諌早高校)に転校した。世界に認められた研究者と叙情的な詩を多く残した詩人。2人の数奇な縁に、両校関係者は「これを機会に交流を深められたら」と期待を寄せている。

 下村さんのノーベル賞受賞を受けて、急遽(きゅうきょ)住吉高校は名簿などで下村さんの在籍を確認したところ、昭和17年に下村さんが佐世保中学から転入したことを記した中途入退学者名簿を発見。さらに担任教師が伊東だったことも新たに判明した。

 京都府出身の下村さんは軍人だった父の関係で、各地を転々とした後に佐世保市から大阪に引っ越し、同年1月に住吉中学1学年に転入。当時の担任が伊東だった。下村さんが19年9月に諌早中学に転校するまでの約2年8カ月、住吉中学で2人は教師と教え子として過ごした。

 諌早市出身の伊東は京都帝国大学を卒業した昭和4年から23年まで住吉中学で国語教師として勤務。破れた帽子をかぶるなど外見にこだわらず教育や詩作に没頭していたという。

 生涯教職を離れず46歳で早世したが、昭和初期に「わがひとに与ふる哀歌」「夏花」など幾多の叙情的な作品を発表。自然や人間の内面の純粋さにひかれ、理想を求めた住吉中学時代の作品は特に評価が高い。

 作家の三島由紀夫は処女作「花ざかりの森」の序文を伊東に依頼して断られたが、同書の後記に「希有(けう)なロマンチストとして敬ってきた詩人」と書き残していたほど。「研究には自分の考えで何でもやるという意味でのアマチュア性が必要」という研究者でありながら、新発見を夢見てクラゲをとり続けた下村さんにも“希有なロマンチスト”の教えが染み込んでいるのかもしれない。

 伊東に対し、下村さんも敬愛の念を持っていたという。下村さんの実弟で諌早市の藤山定さん(76)は2人の関係を知らなかったが、今春下村さんから偶然、伊東について「同郷だったので記憶に残っている」と聞かされたという。

 住吉高校の中野悦次校長は「長崎ゆかりの2人の間には通じるものがあったのではないか。進んだ道は違うが、師弟として一緒の時間を過ごしたことが分かってうれしい」。

 また、9月に伊東の詩碑が立つ住吉高校を訪問した諌早高校同窓会関西支部の支部長で、兵庫県尼崎市の田中勇二郎さん(74)は「これも何かの縁なので交流を深めたい。早速、諌早高校の校長に手紙を出したい」と話している。

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