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2008年10月17日(金) 11時32分

南極と無線交信、子どもたちは大興奮Oh! MyLife

 少し前になるが、9月27日の夕方5時から、滋賀県東近江市横溝町にある『西堀榮三郎記念探検の殿堂』で、「昭和基地と話そう」が開催された。主催は、探検の殿堂無線倶楽部。

 第1部は、第33次・43次隊越冬隊員として参加した中村俊弘さんによる、「オーロラと機械隊員」と題するお話。第2部が、昭和基地との無線交信だ。

 実際の交信の前に、無線倶楽部の事務局長・畑多喜男さんがのGoogle Earthを使って、昭和基地について説明した。

 無線交信を午後6時からとしたのは、その時間帯が電波の条件がいいからだという。

 前日9月26日、アマチュア局としては最高出力の1キロワットの検査に合格したこと。まず14MHzで交信してみて、うまくいけば18MHzに変更を試みること。……など昭和基地との無線交信のイメージをふくらませるような説明だった。

 そして、いよいよ実際の無線交信のときがやってきた。

 無線倶楽部の会長、植木誠男さんがコールすると、昭和基地の無線オペレータの野口さんの明瞭な声が返ってきた。大きな歓声と拍手がわき起こった。

 南極の野口さんによると、この日の南極は雪。気温はマイナス17度。これで比較的温かいらしい。日本との時差は6時間なので、そのときの南極はちょうど昼。毎週土曜日はカレーの日で、さっきお昼ご飯を食べたばかり……。そんな話が、子どもたちや我々が見守る中、スムーズに続いていった。

 その後、電話回線に切り替えて、やはり昭和基地に滞在する第49次隊・通信担当の近藤巧さんと交信した。子どもたちから南極に対する疑問や質問がぶつけられた。

 「南極でいちばん驚いたことは何ですか?」
 「基地と日本の暮らしの、どちらが楽しいですか?」
 「南極では何でも凍るのですか?」

 子どもたちらしい質問が、次々と飛び出した。

 電話回線は、まず東京の国立極地研究所につながり、近藤さんのPHSにつながるのだという。だが会話のタイムラグはほとんどない。まるで隣で会話しているような雰囲気に、みんな驚いていた。

 子どもたちの後は、西堀榮三郎氏とともに第1次隊に参加した通信隊員・佐久間敏男さんが電話口にでた。

 佐久間さんによると、51年前の第1次隊のとき、西堀氏は家で飼っていたカナリアを南極に連れて行ったという。そのカナリアはモールス通信に合わせてピヨピヨ鳴いていたらしい。また、今は研究以外では触ることはできないペンギンが、1次隊のときには、人間を全く怖がらずに、近くに寄ってきて、服をつついてきたりした、という。懐かしそうな話からは、51年前の年月に伴う、大きな差が感じられた。

 この日のために、東京から駆けつけた理学博士の西堀峯夫さん(西堀榮三郎氏の三男、ドイツ在住)が続いて電話口に立った。

 「こうやって電話をしていると、1万4000キロ離れた南極にあなたがいるとは思えない」と西堀さんが話すと、「そうですね、でも日本とのやりとりが簡単にできるようになると仕事が忙しくなって」と近藤さん。

 あっという間に2時間が過ぎ、終了時刻になった。

 「生きた“実体験”を大切にすること、それが西堀哲学。それを子どもたちに伝えていきたい」

 無線倶楽部の植木会長がこう締めくくった。意義深く、人間味あふれる、温かいイベントだった。

(記者:安居 長敏)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081017-00000000-omn-l25