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2008年10月14日(火) 14時57分

米国発世界金融危機とノーベル賞ITmediaエンタープライズ

 先週は下げ止まらない米国の株価と金融危機の連鎖がトップニュースとして話題を独占した。唯一の救いはノーベル物理学賞、化学賞の2つの部門で日本人が受賞した話ぐらいだった。

 中でも、物理学賞を受賞した南部陽一郎博士は日本が元々得意とする素粒子分野で最も著名な人物のひとりであり、また、1982年には米国で科学者として最高の栄誉とされる米国国家科学賞を授与された。彼がノーベル賞を受賞しないのは、物理学会でも不可思議だと長年いわれていた。それだけに非常に嬉しい知らせであった。

●止まらない金融パニック

 米国発の金融危機は相変わらず、下げ止まらない株価で底の見えない恐怖心を招き、一種のパニック相場となってしまっている。最初は単なる投資銀行の破綻であったはずが、結局はCDS(Credit Default Swap)に飛び火した。どこがどれだけの債務を抱えているのか分からない疑心暗鬼がこのような状況を招いた。

 ITmediaの媒体特性上深くは触れないがCDSについて簡単に説明しておこう。CDSは銀行が個人、法人問わず貸し付けた資金にかける保険だ。CDSが破綻に追い込まれた背景は、既に賢明な読者諸氏もご存じの通り、サブプライムローン破綻に端を発している。

 日本の不動産バブルのときは業者間で物件が売買され、実際の流通価格の何倍かの担保価値で評価され、ノンバンクが融資を実行した。ノンバンクが破綻した場合でも担保は何らかの形で存在した。しかし、米国の場合、融資はノンリコースローン(非遡及型融資)という形が一般的で、それらをすべてまとめて証券化するため、担保価値が見えにくい。

 結果的にサブプライムがジャンク扱いとなり、銀行は保険会社に対してCDSで補填することを請求した。これがAIGの破綻だ。

●システム取引

 CDSという仕組みはJPMorganが考え出した仕組みだが、結局、長期的なタームで考えれば不動産価値は必ず上がるという前提で作られている。証券会社が、長い目で見れば株価は必ず上がるという経験則をもっともらしい理屈と数式でそれなりにお飾りして提供した金融商品に過ぎない。CDSの仕組みを実際上の金融商品に仕上げるのに、マサチューセッツ工科大学やケンブリッジの経済学者が多くの役割を担ったそうだ。

 そこから想起されるのは、LTCM(Long-Term Capital Management)破綻だ。同社はSalomon Brothersのジョン・メリウェザーによって1994年2月に創設され、ヘッジファンドとして運用を開始したとされているが、同社の資金運用にはノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズ、ロバート・マートンの2人が深く絡んでいた。

 同社のヘッジファンドとしてのビジネスは、流動性が高い債券間のスプレッド(価格差)のボラティリティが低い、つまり儲けが大きい点に着目し「あらゆる債券」の「相対価値取引」で差益を稼ぐことで成り立っていた。

 さらに、同社は取引差益収益を拡大するため、レバレッジ(取引金額÷証拠金)を効かせるように20〜30倍、時にはそれ以上の倍率で効かせていた。

 その後、同社は、M&A(1995年)、金利スワップ(1996年)、私募債/モーゲージ担保証券/株式(1997年)と扱う対象を広げ、より流動性が低く、より不確実性の高い市場へと参入していった。

 これらの多岐にわたる金融商品を幾つかのポートフォリオにまとめ、リスクをヘッジしながら高配当を稼ぐには、複雑な計算をできるだけ短時間で行い、そのファンドの値動きをシミュレートする必要がある。実際の運用に入ると一時もマーケットから目を離せない。これは人間業では到底不可能でコンピュータの力を借りるしかなかった。

 結局、同社は1997年のアジア通貨危機、続く1998年のロシア財政危機およびロシア政府のデフォルト宣言により決定的な損害を受け、資金が行き詰まった。それを受け、当時のグリーン・スパンFRB議長が強権を振るい、大手金融機関から資金を融資させ、解散させた。

 しかしながら、これ以後、コンピュータによるシステム取引が次第に金融界で一般化したのは歴史の皮肉としかいうしかない。

●ノーベル賞

 ノーベル物理学賞を受賞した小林誠理学博士(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)と益川敏英理学博士(京都大学名誉教授)、化学賞を受賞した下村脩理学博士(ボストン大学名誉教授)の3人については、さまざまに報じられているのでここでは詳しくは述べないが、南部陽一郎博士(シカゴ大学エンリコフェルミ研究所名誉教授)は、ノーベル財団の区分けでは米国として国別に分類されていることだけを記す。

 1945年以降、ノーベル賞の受賞者の数は米国が272人と最も多く、次いでドイツ、英国、フランスなどが多い。日本はわずか15人だが、アジアでは最も多い。米国の272人の内訳を見ると、もちろんほとんどは米国出身者だが、それ以外の海外出身者も67人と結構多い。最も多いのはドイツで12人、次いでカナダの7人、イタリアの6人が続く。

 チェコやハンガリー、ポーランドなど東欧や、インド、パキスタン、台湾などアジアの出身者も少なくない(この中には米国籍を取得した南部博士も含まれている)。初期は、ドイツやスイス、オーストリアのような欧州出身者が多かったが、次第にインドやパキスタン、メキシコなどの開発途上国出身者が増加した。

 これは第2次世界大戦後に欧州から脱出した人たちが多かったことを反映している。次第に政情が安定するにしたがって、東欧諸国から、次いでアジアやアフリカ出身者が高等教育を米国で受けたことにより、その業績が認められ、そのまま国籍を取得、ノーベル賞受賞へとつながったと考えられる。

 日本でも、ノーベル賞に代表される国際的な賞の受賞者を増やそうと動いている。しかしながら、現実は厳しく、優秀な日本人研究者、特に物理や数学、医学の研究者が米国へと流出する動きに歯止めがかかっていない。

 また、ほかの国から研究者を受け入れる方でも、外国籍の人たちを教員に迎える規則改正は遅々として進んでいないのが実情だ。もちろん、これは単なる給与などの待遇面での改正に過ぎない。このほかに、外国の学者を客員教授として招聘したり、同行する家族が安心して生活する環境整備に関しても全く手付かずの状態だ。

 確かに、この数年、日本政府はノーベル賞受賞者の意見を聞き、先進的な研究には補助金を集中させる傾向を強め、いわゆる巨大科学(ビッグサイエンス)に関してはずいぶんと投資額を増やしている。だが、肝心の研究者に対する直接の補助金はそれほど増加していない。

 むしろ、国立大学を行政法人化し、独立採算へ持っていこうとしているため、予算そのものは減少しているように見える。

 産官学連係を標榜しているが、一方の産業界も国際的な競争を意識し、日本の研究所への予算増加は最低限に抑え、ほかの海外拠点への投資を優先しているのが実情だ。これでは学術の世界も空洞化しかねない。

●ノーベル賞と金融危機、コンピュータの関係

 さて、一見全く関係がないように見える上記2つの命題を結んでみよう。20世紀最後から21世紀初めの米国に繁栄をもたらしたのは間違いなく金融産業だ。その原動力はこれも間違いなくコンピュータとそれを利用した金融工学だということは疑いようのない事実である。

 日本は1990年代半ばまでメインフレーム分野において米国を追い詰めた。しかし、米国はオープン化という流れに乗り、完全に日本勢をかわした。それどころか、一瞬のうちに形勢を逆転、21世紀になり、日本のベンダーは海外市場から撤退する羽目に陥った。

 なぜ、このようなことが起こったのだろうか。結論を先に述べるなら、結局日本はハードウェアばかりに投資を集中したからだ。ICT総投資額の中でハードウェアの占める割合が低下する時流を見誤った。

 これを最も象徴するのがパソコンの世界だ。わたしは長くこの世界に身を置いている関係で、海外での日本勢の活躍をよく知る立場にいた。1990年代初頭、まだ、IBMのパソコンが世界シェアナンバーワンの時代、NECの98シリーズも日本に於ける圧倒的な地位により、世界シェアで2位の座を占めていた。

 その時代、つまり、MS-DOSの時代にPC市場をリードしていたのは確かにハードウェアベンダーであった。しかし、16ビットパソコンから32ビットパソコンに主役が交代する時期を迎え、それまで脇役の地位に過ぎなかったソフトウェアベンダーのMicrosoftは、WindowsによりPCビジネスの主導権をハードウェアベンダーから完全に奪い去った。

 その後、メインフレームに代表される伝統的な大型サーバの市場規模はほとんど増加していない。それに対し、オープン系の高性能サーバ、中小型IA(インテルアーキテクチャ)サーバ両者の市場規模は爆発的に増加した。この動きを国産ベンダーは読み切れなかった。

 確かに、金融機関では今でも世界的に多くのメインフレームが使用している。しかし、そのほとんどは例外なしにIBM製品だ。日本製のメインフレームは日本国内に利用が限定されているといっても過言ではない。プラグコンパチブルマシン(通称PCM)は日立のスカイラインの栄光と伴に過去の歴史となって消滅した。

 現在、金融工学で使用されるマシンのほとんどはオープン系の高性能サーバだ。Sun Microsystems、HP、IBMのマシンが一般的で、日本のベンダーが付け入る隙はない。

 同じような現象が科学技術の世界でも起きている。地球シミュレーターが演算性能で世界一の座を獲得したが、獲得した日本より、奪われた米国の方が大きなインパクト受けたようだ。

 その後、米国政府は即座に首位奪還を目指した。グリッドコンピュータである。現在ではスーパーコンピュータトップ100のほとんどを米国製のマシンに占められているが、当時、米国政府の反応はすさまじかった。米国はスーパーコンピュータ性能世界一奪還をまさに国策として取り組んだ。

 21世紀を迎え、パソコンの大量導入に引きずられるように、ある意味でもっと大規模にオープン系サーバが企業に導入された。その多くは単なるファイルサーバか、もしくはグループウェア、ERPなどのパッケージソフトウェア主導で導入された。

 同じころ、企業内ネットワーク、インターネットの普及が進み、データ通信は従来の回線交換中心のビジネスモデルを駆逐した。そのころ急速に普及した携帯電話と相まって、コモンキャリアは大再編の嵐に遭遇した。

 ここでも、勝者に日本企業はいなかった。日本の企業が勝利を目前にして、停滞を余儀なくされたのは、ソフトウェアとそれを最適に動かすための仕組み、いわゆるシステムインテグレーションを軽んじたからにほかならない。

●ビッグサイエンス

 最後に、では、日本にチャンスは残されていないのかというと、そう性急な結論を出す必要もないと考えている。

 前述のように金融危機は米国で理論レベルから実際の実用化まで行われ、それに使用されるプラットフォームもすべて、米国の製品で取りそろえられた。しかし、そのシステムもいまだに不完全なことが今回の金融危機で証明された。つまり、金融工学および複雑な金融商品のポートフォリオ作成やシミュレーションを行うには、現在導入されているシステムのレベルでは不完全だということだ。

 もっと高性能な計算が可能なマシンの登場が望まれている。既にこの動きを察知して、米国では「デスクトップスーパーコンピュータ」というコンセプトが生まれ、それに沿った製品がCrayから発表されている。

 また、最先端の科学技術分野で日米欧の競争はまだ始まったばかりだ。日本のスプリングエイトやCERNの高エネルギー加速器のように壮大な規模に驚いてしまいがちだが、実際にはそこで発生する大量のデータを貯蓄し、解析を行う処理が欠かせない。

 そのために使用される高速処理コンピュータの開発競争も同時並行で進んでいるのだ。この分野では完全に日本と米国の一騎打ちだ。勝敗の見通しは現時点では立っていない。

 今ノーベル賞を狙い進んでいるすべての研究には、最先端のコンピュータ技術が欠かせない。国を挙げての総力戦はこれからだ。

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