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2008年10月13日(月) 01時20分

<三浦元社長>唐突な終焉に「なぜ」 社会部長・小川一毎日新聞

 「ロス疑惑」と称される一連の事件と社会現象の取材に、私自身、膨大な時間と労力をかけてきた。三浦和義元社長の自殺で、20年以上断続的に続いたその取材の日々は唐突に終わった。まだ続くと信じていただけに残念でならない。

 彼が殺人容疑で警視庁に逮捕された88年、私は警視庁担当の記者として、逮捕の事実や捜査の進展を報じた。報道合戦の後、私を待っていたのは2件の訴訟だった。彼から名誉棄損で訴えられ最高裁まで争った。結果は私の勝訴だったが、担当を離れた後も、事件を問い直し続けたことは貴重な体験だった。

 「ロス疑惑」は事件報道の歴史をその「前」と「後」にはっきりと線引きしたと思う。530件とも言われるメディア訴訟は、報道と人権の論議を深め、報道のあり方を確かに変えた。報道の意義が過大に貶(おとし)められたうらみはあるとしても、その点は率直に認める。

 4年前、彼とあるパーティーで一緒になった。私との訴訟のことを話すと、じっと目を見つめられた。そのまま10分ほど何を話すともなく二人で顔を見合わせていた。司法では決着しても疑惑を追った記者としては割り切れない思いがあった。メディアと闘った彼にもなお憤怒があったのだろう。長い沈黙は、事件報道の歴史の「前」と「後」を一緒に生きた私たちの相克の時間でもあった。

 この二十数年間、「ロス疑惑」は終焉(しゅうえん)に見えたとたんに新たな舞台が始まる繰り返しだった。私はロスに再び移った今の舞台があと10年は続くと思っていた。彼は最後まで闘うと信じていた。その闘いを報じながら、一事不再理や日米の法のはざまに落ちた人権のあり方を提起したいと考えていた。元妻の一美さんや白骨体で見つかった白石千鶴子さんの無念にどう応えるのか、記者として自問を続けるつもりでいた。

 なぜ闘いをやめたのか。彼の霊に尋ねてみたい衝動にかられる。

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