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2008年10月12日(日) 08時01分

三浦和義元社長が自殺 「疑惑」闇のまま 直接対決目前…思わぬ結末産経新聞

 27年前のロス疑惑銃撃事件で、米自治領サイパンでの逮捕、拘置を経てロスに移送された三浦和義元社長(61)=日本で無罪確定=が命を絶った。約7カ月に及んだサイパンでの勾留に「不当逮捕」を訴え、ロスに身柄が移った翌日、死を選んだ。最後にかぶっていた帽子の文字は「さよなら」の意味だった。覚悟の自殺だったのか。日本時間の12日午前1時すぎに始まった会見では、ロス市警の捜査官が「ショックを受け落ち込んでいる」と肩を落とした。事件は疑惑のまま幕を閉じようとしている。

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 【ロサンゼルス=松尾理也】「医療スタッフが『様子がおかしい』と呼ばれた。救命措置をしたが、南カリフォルニア大病院に搬送され、死亡が確認された」。三浦元社長の自殺を受け、ロス市警ではリック・ジャクソン捜査官ら2人が11日午前9時(日本時間12日午前1時)から会見。50〜60人の報道陣が詰め掛ける中、ジャクソン捜査官は「独房に収容する際、チェックをしたが、変わったところはなく、自殺の兆候もなかった」「元社長は私たちに協力的だった」と固い表情で釈明。医療スタッフが呼ばれる10分前にも見回りをしていたという。

 移送の際に元社長がかぶっていた黒の帽子にはアルファベットで「PEACE POT MICRO DOT」とデザイン。米国の若者が使うスラング(俗語)で「お幸せに、そしてさよなら」という意味だった。

 移送の間、機内では落ち着いた様子だったが、同乗した報道陣の問いかけには「一切コメントしません」と目を閉じた。

 約20時間のフライトでロスへ。ロス市警での収監手続き後、在ロス日本総領事館の領事に面会し、留置場では読書ができず、部屋から国際電話をかけられないと訴えた。「アレルギーのため油で揚げたものが食べられないと担当官に伝えてほしい」とも要請した。自殺は、この面会から約12時間後だった。

 「20年間、ある人物を逮捕するために待ったんだ。気分はいい」。ジャクソン捜査官は元社長の移送後、共謀罪で有罪に持ち込めると自信をみせていたが、半日あまりで思いもかけない“結末”に直面した。

 サイパンでの弁護団の一人のフィッツジェラルド弁護士は、「元社長は意気揚々としていた。自殺は全く理解できない」と絶句。サイパンの元検事は「本当に悲劇だ」と話した。

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 ■「悲しみと遺憾」元社長親族が手紙

 元社長の妻で殺害された一美さんの母親、佐々木康子さんが暮らす川崎市の自宅には11日夜、報道陣が詰めかけたが、不在だった。佐々木さんは今月4日、近所の主婦に「旅行で15日まで留守にする」と、ネコの面倒を頼んでいたという。

 神奈川県平塚市にある三浦元社長の自宅兼店舗。元社長の妻が経営する1階の輸入雑貨店は夕方に閉店したが、午後8時ごろには「友人」と話す中年の男性が報道陣に「拘束中、最低限守られるべきことが、なぜこのような事態になったのか、悲しみとともに、遺憾に感じております 三浦和義 親族より」と書かれた1枚の紙を手渡した。

 元社長の妻は在ロス日本総領事館から電話で夫の自殺を知らされた。妻は数日中に面会に行く予定だったとされ、動揺した様子だったという。

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 ■元刑事「甘えてきた人生、本当は気弱」

 「甘やかされて育った気が小さいおぼっちゃまだった、ということだろう」

 元警視庁捜査1課理事官の大峯泰広さん(60)は20年の時を埋めるかのように、三浦和義元社長の心を読み解いた。

 大峯さんは昭和63年10月に、一美さん銃撃事件で捜査1課が殺人容疑で三浦元社長を逮捕した際に取り調べを担当。取調室で完全黙秘を貫く三浦元社長と20日間対峙(たいじ)した。雑談では冗舌に語ったが質問を浴びせると一転。「取調室にある電話をジッと見つめて、目を合わせようとしなかった」

 週刊文春で「疑惑の銃弾」と報じられたのが59年1月。殺人容疑での逮捕には5年近くかかった。「取り調べでは『しゃべらなければ絶対に大丈夫』と完全に余裕を持っていた。だが、最初の報道のときには相当慌てていたとの近親者の証言があり、事件についておびえていたのは間違いない。それは今も変わらなかったのだろう」と、刑事訴追への恐怖心は常に付きまとっていたと分析する。

 ロスへの移送直後に自殺したのはなぜか。

 「日本では一美さん殴打事件で実刑が確定している。アメリカで共謀罪に問われるならば、日本での裁判記録や、捜査関係者の証言から『共謀』があったことは裏付けが容易にとれる。共謀罪は終身刑もあり得るため『逃げられない』と観念し、死を選んだのではないか」

 日本で無罪が確定すると、人権擁護の言論を強めていた三浦元社長。支援者は「死をもっての抗議」とみる。だが、大峯さんには「虚勢を張っているだけ」と映った。

 大峯さんと三浦元社長は団塊の世代に分類される同学年。取り調べでは、有名人の甥として生きてきたとされる三浦元社長に、「自分とは違う生き方をしてきた」と、同学年ながら違和感を覚えたという。

 「(三浦元社長は)つねに誰かに甘えて生きてきた人生だった。本当は弱い性格だったのでは」

 心の弱さが自殺という形に結びついたとみている。

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