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2008年10月11日(土) 15時44分

【週末に読む】「食」と「農」の危機産経新聞

 輸入食品からまたも有害物質が検出された。国内産の食品でも、中毒や窒息などの事故があとを断たない。食の安全は、いま大きく揺らいでいる。

 食品が私たちの食卓に届くまでに、何が起きているのだろう。食をめぐる品質管理の専門家、河岸宏和は、食品業界の現状について疑問を投げかけた。

 その新著『“食の安全”はどこまで信用できるのか』(アスキー新書)によると、私たちの知らないことが多い。気がかりな事実に驚く。

 「日本では食品の〈製造年月日〉を表示する義務がない」

 1995年までは表示が義務づけられていた。業界の反対などで撤廃された。かわって登場したのが、疑惑だらけの「賞味期限」である。

 「消費者への視線はありません」

 よく話題になるように、日本の食料自給率は40%にすぎない。食をめぐる不安の背景として、この事実は見過ごせない。

 「日本は飢餓列島に向かって歩みをはじめた」

 柴田明夫は新著『飢餓国家ニッポン』(角川SSC新書)で警告する。総合商社の最前線で世界の食糧事情を見続けてきた。その実感である。

 世界の食糧需要は逼迫(ひっぱく)してきた。増産には限度がある。食糧価格が高騰し、供給量が頭打ちになると、もっとも痛手を受ける国は、日本であろう。

 「戦後日本の農政は、失敗の軌跡といえる」

 農業に従事する人口は、ピーク時の20%にまで減った。耕地は実質的に半減。食糧の60%を輸入に頼りながら、なおも政府は減反政策をやめようとしない。

 「子孫のために早く減反をやめ、食糧増産に踏み出さないと、手遅れになる」

 食卓も、農業も、危機に直面しているのだ。農業経済学の明治学院大教授、神門善久は名著『日本の食と農』(NTT出版)で、危機の本質をさぐった。

 その姿勢は、ありきたりの行政批判にとどまらない。ある意味でタブーにもあえて踏み込み、人びとの耳に痛い発言も辞さない。

 「食と農の問題には、消費者や農民の怠慢と無責任がある」

 消費者は、食の手軽さを求めるあまり、結果的に安全を犠牲にした。しかも、食卓の団欒(だんらん)を忘れて食生活の乱れを招いた。

 農家のうち耕作のために農地を使っているのは少数派。多くの農家は転用で成金になることを願って農地に固執している。

 「本気で農業生産に能力と努力を注ぎ込む者こそ、農業を担うべきだ」

 その舌鋒(ぜっぽう)は鋭く、熱意にあふれている。消費者や農民のエゴに迎合する限り、食と農の崩壊に歯止めは効かないというのである。

 神門教授は、批判するばかりではない。養老孟司と竹村公太郎の対談『本質を見抜く力』(PHP新書)のゲストに招かれ、鼎談(ていだん)で語っている。

 「僕は、日本農業の可能性はとても大きい、と信じています」

 農地が有効に使われるなら、日本の米作は完全自由化できるほど強い。日本人の“本気”がここでも試されている。(山田愼二)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081011-00000119-san-soci