記事登録
2008年10月10日(金) 22時23分

【ノーベル平和賞】アハティサーリ氏、原点は戦災体験に産経新聞

 「私自身が国内避難民だった。もうあの土地には戻れないから“永遠の避難民”だ。自分の将来を考え始めたとき、同じような境遇の人たちを助けてあげたいと思った」。ノーベル平和賞の受賞が決まったマルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領は、今年5月に来日した際、産経新聞の取材に対し、自身の戦災体験が和平交渉に携わる原点になったと語っていた。

 現在ロシア領のカレリア地方(旧フィンランド・ビープリ)で生まれた。1939年のソ連・フィンランド戦争の勃発(ぼっぱつ)で父を前線に取られ、母と国内で戦火を逃れた経験を持つ。たどりついた先は見知らぬ土地。そこでラジオからかすかに聞こえる英BBC放送を聞き、英日曜紙オブザーバーをなんとか入手しながら英語を身につけ、世界に目を向けた。

 氏の英語はフィンランドなまりが強い。ゆっくりとした口調で、慎重に単語を選びながら話す。しかし、その声は「温かいおじいさん」のようだ。「人は時として率直でならなくてはいけない」「難しいことを、相手を不快にさせずに言う方法は何か」という言葉からは、調停者の交渉術の一端がうかがえる。

 36歳で駐タンザニア大使に就任。そこで知り合ったナミビア人たちを通じて、ナミビア独立問題を手がけたことが国際的な和平活動のスタートとなった。40歳で国連の表舞台に立ち、以後、紛争の調停役として欠かせない存在となった。

 2005年8月にアチェ合意に署名する前日、アナン国連事務総長(当時)から電話が入り、「いつ国連に来てくれるんだい?」と、次の仕事に誘われたという。ただちにコソボ紛争の調停を手がけた。

 紛争調停についてアハティサーリ氏はチームワークの重要性を説く。「決して一個人の力によるものではない。私は常にいい人たちを見つけてきた。彼らが一緒に働けることが重要だ。交渉に残される時間は多くない」

 フィンランドやノルウェーは、和平交渉の仲介役として名高い。アハティサーリ氏に日本も同じような存在になれるかと尋ねると、「日本だって明石康・元国連事務次長や緒方貞子・元国連難民高等弁務官のような人材がいる。そういう人たちの支援を得ながら経験を積めば、日本も建設的な役割を果たすことができる」と答えたことが印象的だった。

 ノーベル賞委員会は平和賞授賞理由について次のように述べている。「アハティサーリ氏は現代における傑出した国際紛争の仲介者だ。同氏に刺激を受け、後継者が続くことが期待される」(田北真樹子)

【関連記事】
ノーベル物理学賞に小林誠氏ら日本人3人
素粒子物理学の基礎「標準理論」を築く 小林、益川両氏
「ノーベル賞盗まれた」イタリア学会が物理学賞に異議
「懐中時計が騒ぎで止まった」益川教授が受賞後初講義
【ノーベル化学賞】下村さん、南部さんと共通点多く 時代性と地道な努力

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081010-00000601-san-soci