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2008年10月09日(木) 02時01分

<ノーベル化学賞>「本当にうれしい」長崎の親族らも喜ぶ毎日新聞

 今年のノーベル化学賞に8日、米ボストン大名誉教授の下村脩さん(80)が選ばれた。旧長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)卒業とあって、親族や同級生、長崎大の関係者らゆかりの人々も受賞を喜んだ。

 戦時中、下村さんは父親が南方に出征していたため、長崎県諫早市にある母の実家に疎開していた。「姉」のように慕われていた長崎市の叔母(93)は「本当にうれしい」と晴れ晴れとした声をあげた。

 昨年、帰国した際にも叔母を訪ね、親族が集まって食事会を開いた。「あんたノーベル賞候補になってるらしいね」と尋ねると、「そんなこと秘密だよ。言わない方がいいよ」と笑っていたという。1〜2カ月前にも「どうしてるか」と気遣う電話があったばかり。「私が生きているうちにノーベル賞をとれたらいいね」と声を掛けたという。

 長崎にいたころには、よく遊びに来て、子どもたちにチョコレートをくれたという。「子どもたちも『大きい兄ちゃん』としてなついていました」と振り返る。

 叔母は「帰国したら必ず訪ねてくれるし、電話もくれる。優しい子です」と本当の「弟」のように喜んでいた。

 長崎県佐世保市の白南風(しらはえ)国民学校(現・白南風小学校)、旧制佐世保中(現・佐世保南高など)で下村さんと同級だった元佐世保市医師会長、楠本誠人さん(80)=同市=は、昨年2月に下村さんが佐世保市を訪れたときのことを語った。

 「彼はお父さんが職業軍人で各地を転々としていた。中学校も1年しかいなかった。それでも『僕には母校がないんだ。でも、佐世保中学校が一番懐かしい』と言っていた」

 下村さんに請われて白南風小を案内し、資料室に展示してある当時の写真を懐かしそうに見入っていたという。

 下村さんと旧制諫早中(現・諫早高)、長崎医科大付属薬学専門部で同級だった峰唯信(ただみ)さん(81)=長崎市=は「背が高い人で、空いた時間にはバスケットボールやテニスをして楽しんでいましたね。気さくな人柄だった」と当時を懐かしんだ。

 薬学専門部は、原爆投下により戦後、長崎市から長崎県諫早市に移転した。「(旧海軍の航空機の)格納庫の跡地を使って研究をしていた。下村君はその中でも一生懸命勉強し、成績は良かった。研究者の道を進んだのはよく分かる」

 戦後、米国に渡り、研究者として高い評価を受け、ついにはノーベル化学賞。「彼の研究活動は当時も今も、同級生の励みだった。こんな大きな賞を受けて、誇りです」

 受賞の知らせを聞いて、斎藤寛・長崎大学長は「下村さんは大変苦労をされながら、長崎医科大で勉強された。ノーベル賞受賞は大変喜ばしい」と興奮気味に語った。

 昨年10月、卓越した業績を残した長崎大出身者に贈られる「名誉校友」の称号を授与され、その際、大学で学生たちに記念講演もした。

 薬学部の卒業生でつくる「長薬(ちょうやく)同窓会」の伊豫屋偉夫(ひでお)会長(65)は「若い研究者たちを前に『私はまっしぐらに基礎研究に取り組んできた。みなさんも基礎研究に力を入れてほしい』と楽しく厳しく話してくれて、感激した。偉大な先輩です」と喜んだ。

 講演会の後には、周囲から「ノーベル賞はどうですか」と尋ねられると「取ろうとして取れるものではない」とニコニコ笑っていたという。

【阿部弘賢、下原知広、錦織祐一】

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