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2008年09月29日(月) 06時03分

中山発言でひさびさ脚光 日教組って何?スポーツ報知

 一連の失言の責任を取り、中山国交相が辞任したが、一国の大臣がそこまでして敵対視する日教組(日本教職員組合)とは何なのか? 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令がきっかけで結成された組合の歴史と批判を振り返る。

 日教組は1947年6月8日、3つの教職員団体が合同し誕生した。結成大会では「わが国に残存するあらゆる悪条件とたたかい、これを徹底的に打破して豊かな民主主義教育・文化の建設にまい進することを誓う」と宣言。50年に朝鮮戦争が始まると、平和4原則(全面講和、中立堅持、軍事基地提供反対、再軍備反対)と「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを訴えた。

 文部省(現文科省)とは対立の歴史があり、勤務評定や主任制反対闘争などで「スト戦術」を断行。一方の文部省も86年には、藤尾正行文相が「教育の原点は、よき日本人の育成である。日の丸、君が代は、その象徴。日教組? いつでもいらっしゃい」と挑発するなど、全面バトルの構図が続いていた。(藤尾氏は日韓問題の失言で、在任50日という短命で辞任している)

 しかし、時代の流れとともに日教組には保守層のみならず、その政治的姿勢などに教育現場からも疑問や批判がひん発。若手を中心に組織への関心も薄れ、82年には59万人を超えていた加入教職員数も、06年には30万人を下回った。89年には委員長人事をめぐって内部分裂騒動も勃発(ぼっぱつ)している。

 さらに自民対社会の55年体制の崩壊による影響から、95年には宿敵の文部省と電撃和解。「何でも反対」の体質が微妙に変わり、「日の丸、君が代」についても運動方針案から「反対」を削除する形で“軟化”の兆しを見せたといわれる。

 それでも逆風がやむことはなく、昨年7月の参院選では、ヤンキー先生こと自民党の義家弘介氏が日教組本部前で第一声を上げ、「日教組支配から脱却し、子どもたちのために、われわれ大人たちは立ち上がらなければならない」と厳しく批判。この“公約”で選挙戦に挑み、当選。今年2月には、日教組による「教育研究全国集会」の会場予定だった東京都内のホテルが、右翼団体による妨害行為の可能性などを理由に、使用契約を解除するなど、物議を醸した。

 教育評論家の尾木直樹法大教授は「組織ですから批判されるのは当たり前ですが、今回の中山氏の発言は、過去にどんな恨みがあったか知りませんが、事実に反することを言いすぎています。逆に文科省と和解してから地盤沈下していた日教組にとって、主張をアピールするチャンスになったのでは」と話している。

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http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080929-OHT1T00066.htm