記事登録
2008年09月25日(木) 00時00分

「うちは1人か」森氏不満 検証・新内閣読売新聞

 麻生首相は24日の組閣で独自色を出す工夫を随所に見せたが、最大派閥の町村派の圧力に手を焼くなど、党内基盤の弱さもうかがわせた。舞台裏を探った。(敬称略)

町村派「2枠」の攻防/参院に反発も ■秘策

認証式を終え、記念撮影する麻生首相ら(25日午前0時39分、皇居で)=三輪洋子撮影

 自民党総裁選の最中の15日に起きたリーマン・ブラザーズ破綻に、麻生は強く反応した。

 「日本で問題になるのは為替だ。為替に影響が出たら、ただちに対応を取らないといけないな」

 麻生はこう周囲に語り、財政と金融行政が一体的でないと、危機は乗り切れないとの思いを強く示した。麻生は盟友の中川昭一・元政調会長に電話で、「財政と金融をやってくれ」と告げた。

 中川は8月下旬の講演で「何もしない首相はダメだ」と福田前首相を批判、麻生同様、景気対策重視への路線転換を唱えた。旧日本興業銀行出身で、金融にも詳しい。「麻生カラー」を示し、路線転換を示すには、最適の人材だった。財金一体の方向性への抵抗を予想し、麻生は情報管理を徹底し、中川も「聞いてない」と言い続けた。

 佐藤勉の国家公安委員長も、佐藤と同じ衆院栃木4区から立候補予定の民主党の小沢代表の側近、山岡賢次国会対策委員長を意識した「秘策」だと見られている。「山岡は選挙が気になって仕方ないだろう」と自民党幹部。麻生は電話で佐藤に入閣を伝える際、「選挙、しっかりやれよ」と付け加えた。

■一枚看板

 外交経験の少ない中曽根弘文を外相に起用する案を心配した森元首相に、麻生は「自分でカバーするから大丈夫です」と答えたという。官房長官には、手堅い実務派だが、「地味」と評される河村建夫を選んだ。福田内閣では官房長官だった町村信孝が存在感を示すことで、福田前首相との関係がぎくしゃくする場面もあったが、麻生は「河村なら、そういう心配はない」と考えたようで、麻生に近い議員はこう指摘した。

 「今度の内閣は麻生さん一人が目立てば十分。麻生さんもそう思っている」

■町村派の混乱

 組閣作業は最終局面で手間取った。最大の原因は町村派だ。

 麻生は同派の参院議員、中山恭子・前拉致問題相の再任と、衆院から1人の起用を考えた。国連会合出席のため訪米中の同派最高顧問の森は23日夜、麻生に電話で、「うちは1人か」と尋ねた。「衆院1人、参院1人でどうですか」と言う麻生に、森は中山恭子の夫、中山成彬と、坂本剛二両衆院議員の入閣を念頭に「衆院2人」を譲らなかった。恭子は拉致への取り組みが評価された「特別枠」で、「町村派枠」ではないとの考えも作用した。「夫の出世を喜ばない妻はいない」と森は周囲に語った。

 総裁選で、麻生支持の森、町村と、同派の小池百合子・元防衛相を担いだ中川秀直・元幹事長とで派が割れたこともあり、組閣で影響力を示し、派内を掌握する思惑もあったようだ。結局、麻生は同派から成彬と塩谷立衆院議員を入閣させ、「衆院2人」を与えたが、恭子の再任は見送った。

 成彬の人事では、さらに混乱が続いた。麻生が24日午後2時過ぎ、成彬に電話で伝えたポストは行政改革相だった。だが、旧大蔵省出身の成彬は「野党から『そんな人物に公務員改革ができるのか』と攻められる」と懸念したため、国土交通相に変わった。当初構想には“玉突き”が起き、法相に固まっていた鳩山邦夫が総務相になるなど、調整がぎりぎりまで続いた。

 参院との間にもすきま風が吹いた。麻生は自らに近い浜田靖一を防衛相にする構想を早くから持っていたため、あおりで、「参院のホープ」と言われる林芳正・前防衛相が閣外に去ったからだ。青木幹雄・前参院議員会長は周辺に、「衆院選向けの布陣を敷くべきだが、林の交代はどうか」と不満を漏らした。国家公安委員長に世耕弘成参院議員を起用する案もあったが、参院側に「林を降ろして、世耕を入れるのか」と反発があり、実らなかった。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080924-4471734/20080925_03.htm