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2008年09月22日(月) 17時45分

【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語 22. KDDとの提携で外堀を埋めたJ-CASTニュース

 NTT以外に中継線を持っていたのは、いわゆる第二電電(NCC)と呼ばれたキャリアであるKDD、DDI、日本テレコム等と通信事業者ではないが、電力系があった。

 これらNCCは第一種通信事業者としてNTTに比べれば遥かに規模が小さいが、自身のバックボーン回線と主要NTT電話局を束ねるATMネットワークを持っていた。しかし、その数は万全とは言い難く、NTTのATMを借用している場合も多かった。これを何とか使わして貰おう。

 まず頼れるつては、伊那実験で一貫して頼もしいパートナーであり、研究所の取締役に就任していた浅見さんだ。当たって砕けろとばかりに話を持ち込む。

 「伊那の実験を今度は都会でやりませんか。ついてはNTTのATM網は使いたくないのです。KDDのATM網を出来れば無償で借りられませんでしょうか」と図々しい支援要請をぶつけた。

 枠組みは実験でも、内容はADSLを忌避するNTTとの鮮明な対決だ。今回は研究所の裁量を超えた全社的合意を取り付けねばならない。

 NCCはかねがね独占という恥部を隠す無花果の葉と悪口を囁かれるほどNTTべったり姿勢を指摘されていた。だが、NTT分割や電話接続料引き下げを巡り、徐々にかつてのような協調路線から決別する方向に変化しつつあった。ここに期待をつないだ。

 ほどなく「社内で前向きに対応する方向で処理する」という回答が来た。これは嬉しかった。最大の難問であった「バックボーン中継線の確保」の見通しが一気に進んだ。

 外堀は埋める事が出来た、残るは内堀だ。一歩、商用実験サービスへのゴールが近づいてきた。

 早速、KDDアクセスシステム部の部長とKDDの子会社でISP事業者であるKCOM社長の阿久津さんを紹介され、共同実験のスキームを練り上げることとなった。

 実験対象局としてNTTが上げていた5局のうち4局にはKDDのATM回線があった。これで十分だ。利用料は無料でよいことも念を押す。

 インターネットについては、IX接続はKCOMが引き受けてくれたので、先に説明したように回線提供業者の部分を我々は担えばよい。これは有難かった。

 その頃、TMCでは、インターネット接続サービス資格のAS(Autonomous System)をまだ申請中であり、取得には大幅な時間がかかることが分かっていた。

 しかし、顧客獲得や管理、課金処理などはTMCの領分であり、ADSL事業に関してあらゆる分野へ最初に挑戦する者という立場から解放されていたわけではなかった。いわば猫の手も借りたい立場であった。

 こうして発足3ヵ月後の1999年10月18日、TMCとKDDの業務提携を発表する合同記者会見を大手町KDD会館で開催するに至った。その時にKDDを代表して臨席を頂いたのが、池田執行役員である。日本におけるIX設立の実績をあげ、KDD次世代通信を担うと嘱望されていた人物だ。

 出席報道機関はおびただしい数にのぼった。KDDという日本有数のゼネコン的通信企業が、ADSL事業に進出する、それも名も知れぬ一ベンチャーを担いで、あのNTTと対峙するというのであるからニュース価値は絶大であった。

 雛壇に池田さんとともに並んだ私と小林君は、ここを先途とばかりアジりまくった。中でもKDDとの交渉を一手に引き受けていた私は、「ISDNは日本の電話網を汚染している」と発言、NTTが悪者であると攻撃を加えたことが忘れられない。

 ISDN(またはINS)は当時すさまじい数で加入者を獲得しており、この流れを食い止めねばADSLはどうなるのかと必死の思いが叫ばせた一言であった。

 この記者会見、KDDとの業務提携の発表は、TMCを世に知らしめるうえで絶大な効果を生んだ。なにやらADSLなる怪しげな技術を振りかざす一介のベンチャーから、日本の情報通信産業の本丸を揺り動かす可能性をもった本格的な新規参入通信事業者へと、評価が一変したのである。

 なるほど、メディアの力は偉大なり、有名ブランドの力もまた偉大なりと、ほとほと感心した。とりわけ、半信半疑であった資金調達先のVC(ベンチャー・キャピタル)はこれ以降、TMC事業の有望性について、高い評価を下すことになった。

 KDDとの業務提携は、KDDがDDI、IDOと合併し社名がKDDIと変わる一連の流れに巻き込まれるにつれ、徐々に萎んでゆく。新生KDDIは、固定通信網への関与を打ち切り、移動体(au)への傾斜路線をとり、ADSLへの進出や支援は次第に打ち切られてゆく。

 池田さんは合併前に退社し、同じADSL事業者のアッカ社に請われて移籍、しかしその後NTTコミュニケーション(NTT分割で生まれた長距離通信会社)の影響力の増大に辟易して退社、現在は大学で教鞭をとられている。

 一言、KCOMをISPとして獲得したTMCのユーザーは、その後もTMCが最後を迎える日まで引き続きサービスを受け続けられた事を付け加えておく。

【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年〜2003年)
鷹野晃
写真家高橋?氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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