記事登録
2008年09月19日(金) 13時04分

架け替え工事が進む兵庫・余部鉄橋オーマイニュース

 JR西日本山陰本線の鎧(よろい)駅と余部(あまるべ)駅間に架かる余部鉄橋は、鉄道マニアだけでなく多くの人々にもよく知られている鉄橋である。

 この橋梁の架け替え工事が行われているというので、JR山陽本線の姫路駅から播但線を乗り継いで行ってみることにした。

ほかの写真を見る

 車で何回か行ったことがあるが、鉄道で行くのは初めてである。城崎温泉で一休みした後、浜坂行きの各駅停車に乗り余部駅までおよそ40分、2両編成のディーゼルカーはトンネルを抜けるとかなり高いところにある鉄橋を渡って余部駅に到着した。

 週末の土曜日ということで、カメラ持参の見物客もかなり多く、ここ余部駅で下車して下まで降りて行って写真を撮るのがねらいである。整備された坂道を下っていくと橋の下を国道178号線が走っており、そこまでいけば鉄橋の全体像がよくわかるのだ。

 あの見慣れた鉄橋の間に大きな足場のようなものが防護シートに覆われて2基建てられている。架け替え工事真っ盛りといったところで巨大クレーンがゆっくりと資材を運んでいた。

 ここで余部鉄橋の概要について紹介しておこう(解説板から)。

施工:1909年(明治42年12月)
開通:1912年(明治45年3月)
高さ:41.45メートル
延長:310.59メートル
橋台:2基
橋脚:11基
橋脚:トレッスル
総工費:331,535円
総人工:25万人

 この余部鉄橋は1986年(昭和61年)の年末、突風により機関車と客車が脱線転覆して(山陰線余部鉄橋列車転落事故)犠牲者が出たことでも知られており、1988年(昭和63年)に鉄橋下に“聖観世音菩薩像”の慰霊碑が建てられている。

 当時の事故調査委員会発表によると、事故の概要はこうだ。

 1986年12月28日、福知山発浜坂行き下り回送列車が走行中、突風にあおられて客車7両が41メートル下に転落。これにより、水産加工工場の従業員5 名と車掌1名が死亡し、6人が負傷した。原因は突風により列車運行を停止すべきだったにもかかわらず、列車を停止しなかったことによる。

 突風にあおられた列車が橋の上から下まで落下したのだから、ニュースとしても大きく採り扱われたのを、よく覚えている。皮肉にも、餘部鉄橋がより多くの人々に知られるようになった。

 しかし、100年も前にこのような鉄橋を作った技術に驚嘆せざるを得ない。今日までそのメンテナンスがどれだけ大変だったことだろう。鉄骨製ゆえに錆との戦いでもあったと言われている。鉄橋完成から100年経過し、鉄のトレッスル橋からエクストラードPC橋(コンクリート製)の橋脚に変わると言われている。橋長や高さは現在のものとさほど変わりないが、橋脚が4基、橋台が2基になるようだ。(参照:香美町のホームページ)

 懐かしい鉄製のトレッスル橋からどのような橋に変わるのだろうか。大変気になるところである。

 新橋はコンクリート製で2010年度(平成22年度)に完成予定だという。つまり、1912年に完成したこの余部鉄橋は、100年後の2010年を期して全く別の顔をした橋ができることになる訳である。

 新橋の完成予想図を見ればわかるように、新しいモダンな形をした橋かもしれないがこれまでと比べて「何と情緒のない橋であろうか」と、思うのは私だけであろうか。

 しかし、鉄製の橋が消えていくのは時代の流れかもしれない。

(記者:松原 ただし)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080919-00000001-omn-l28