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2008年09月17日(水) 19時54分

【今日のブログ】「残疾人」の名称変更は二の次サーチナ・中国情報局

 2008年9月17日、北京パラリンピックが閉幕する。出場選手たちは12日間に渡って健常者に劣らない驚き値するパフォーマンスを披露し続けたが、ここにきて「残疾人(障害者の意)」という名称を変えるべきではないかという問題が再浮上している。このブログは名称の変更よりも、もっと重要なことがあり、名称変更は二の次であると提案するものである。以下はそのブログより。
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 北京パラリンピックが17日に閉幕する。出場選手たちは12日間に渡って健常者に劣らない驚き値するパフォーマンスを披露し続けた。そして、「残疾人(障害者の意)」という名称を変えるべきではないかという問題が再浮上している。

関連写真:そのほかの北京パラリンピックに関する写真

 私から見ると、この問題はそれほどの意義のあるものではないように感じる。変更すべきかどうかというのは、どの視点から見ているのかということが重要である。

 現在、変更に賛成している人々は、「残疾人」という言葉には差別的な響きが含まれていると主張する。「残疾」とは身体的な機能の欠損を意味しており、単に「健常者」の対義語に過ぎないのではないだろうか。

 我々はパラリンピックを通じて、人生や生活、社会、ひいては歴史における貢献という観点から見ても、障害者は健常者に劣る存在ではないということを発見した。これは紛れも無い事実である。

 しかし同時に、彼らの日常生活において、その障害が大きな不便をもたらしているという点も事実であり、社会の愛と扶助を必要としているのだ。

 「残疾人」という名称の変更についてであるが、これは「農民工(出稼ぎ労働者の意)」の名称変更に関する問題と同じではないだろうか。彼ら「農民工」を巡る様々な諸問題を根本的に解決しない限り、名称だけを変更しても何の意味も無いということだ。

 名称の変更などというのは二の次であり、重要なのは彼らのために何をしたか、そして何をしていくのかという点である。「残疾人」に対しても同様であり、彼らが健常者と同じように生活・仕事が出来るよう、環境を整えることが重要なのではなかろうか。
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(出典:潮白的BLOG意訳編集)

 写真は9月9日に行われた男子100m決勝の様子。驚くべきパフォーマンスを見せるパラリンピック出場選手たち。(編集担当:畠山栄)

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