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2008年09月17日(水) 14時21分

<パラリンピック>初出場の42歳が快走…マラソン山本選手毎日新聞

 【北京・石丸整】不惑を過ぎた初出場ランナーが北京を快走した。パラリンピック最終競技のマラソンで17日、男子車いすT54の山本浩之選手(42)=福岡市=は1時間23分22秒で完走、6位でゴールした。14日の千五百メートル予選は転倒した選手を避けて順位を落とし、パラリンピックで勝つ厳しさを肌で感じていた。「よく入賞できた。家族に『終わったよ』と報告したい」。悔いのない走りに笑みがこぼれた。

 午前7時半。気温20度の曇り空の下、天安門広場をスタート。平たんなコースで互いにけん制し合い十数人でトップを争う。国家体育場に入ってから2人を抜きゴールした。優勝した豪州の選手とわずか5秒差だった。

 予備校に通っていた86年11月。オートバイで接触事故を起こし中央分離帯に激突、背骨を折った。入院中に地元の車いすバスケットボールチームから誘われ「夢中になれるものがなかったから」と退院と同時に入会した。

 IT(情報技術)や印刷の会社で働きながらプレーを続けた。「どうせやるなら最高峰の大会に」とパラリンピックを目指したが00年シドニー大会には選ばれなかった。34歳。代表入りはあきらめた。

 「陸上ならタイムさえ出せば代表になれる」。直後に気持ちを切り替え、仕事を終えてから約2時間、海岸沿いの道を走り込んだ。練習時間を確保するため、04年2月に残業の少ない病院事務に転職。休日には往復10キロを7〜8回走った。しかし04年アテネ大会は惜しくも代表漏れした。

 看護師の妻(40)と出会ったのは転職直後。海外大会に出掛けるためスーツケースを引いていると「大丈夫ですか」と声をかけてきた。練習後、妻がマッサージをしてくれる。妻の2人の連れ子に「あきらめない生き方を見せたい」。昨年10月の大分の大会で国内1位となり、北京行きを決めた。「地道にやってきたからパラリンピックにたどり着けた」

 レース後「無事に帰ってきました。メダルには届かず悔しいが、最低限の仕事はできた」と笑顔。「最初で最後」と臨んだ北京だったが「ロンドンまで頑張ってみたい」。新たな目標ができた。

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