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2008年09月17日(水) 22時41分

パラリンピック 妻に、伴走者に、感謝の完走 加治佐選手毎日新聞

 【北京・石丸整】「みんなに走らせてもらっている」。視覚障害者マラソンで17日、加治佐博昭選手(34)=横浜市=は感謝の気持ちを胸に、足首の痛みをこらえながら完走した。記録は2時間56分31秒で21位。くじけそうになった時、目に浮かんだのは支えてくれた人々の顔だった。

 「鳥の巣(国家体育場)です。頑張りましょう」。ゴールまで残り2キロ。伴走者の永井順明さん(30)の呼び掛けに、口を開けたままうなずいた。32キロ地点で左足首が痛み始めた。地面がぼんやりとしか見えず、曲がり角が多いコースで足首に負担がかかった。「つらくて目も開けていられない状態だった」。妻匡子(きょうこ)さん(33)やコーチの顔が浮かんだ。見事に完走。永井さんに背中を抱きかかえられ、うずくまった。

 鹿児島県出身。中学、高校は陸上部だった。93年に東京都の電子部品製造会社に就職。96年、自動車免許証更新時に視力の低下に気付く。網膜色素変性症。失明の可能性がある進行性の病気だった。寸法を測る定規の目盛りが見えなくなり03年に退社。故郷に帰り、マッサージ師の資格を得るため盲学校に入学、陸上を再開した。

 授業で五千メートルなどを走った。視野が5度に狭まっていたが、白線はぼんやりと見えるため運動場の中は走れた。「障害者の日本記録を狙える」と教諭に励まされた。だが、高校時代の記録を破れない。やる気を失いかけた時、匡子さんが視覚障害者マラソンがあることを調べてくれた。「記録が伸びて楽しい」と練習に打ち込めた。

 06年4月、横浜市の鍼灸(しんきゅう)院に就職。翌5月、盲学校の教諭を通して永井さんを紹介され、運動場の外でも練習できるようになった。妻、伴走者、コーチ……。周囲の人々に支えられ出場したパラリンピック。「メダルで応えたい」と臨んだが、夢はかなわなかった。

 12月に第2子が誕生する。完全に見えなくなる前に子供の顔を見たいと願う。「4年後も必ず出たい。もっと強くなりたい」。次への一歩を踏み出した。

    ◇    

 「同一個世界 同一個夢想」(ひとつの世界 ひとつの夢)をスローガンに熱戦が繰り広げられた北京パラリンピック。鳥の巣の聖火は消え、それぞれの夢舞台が幕を閉じた。

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