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2008年09月16日(火) 20時38分

<パラリンピック>上与那原、最終日のマラソンでメダル狙う毎日新聞

 【北京・石丸整】北京パラリンピック、競技に専念するため退社してまでつかんだあこがれの舞台。16日の陸上男子八百メートル決勝で、上与那原(うえよなばる)寛和選手(37)=沖縄市=はスタートで出遅れ4位に終わった。北京入り後の検査で障害の程度を一つ軽いクラスに判定され、一時は出場が危ぶまれた。それだけにメダルへの思いもひときわ強い。「出場しただけでは終われない」。大会最終日のマラソンに思いをぶつける。

 16日のレース。空気抵抗を少なくするため、正座した状態で車いすに乗る。背中を丸め、プラスチックを溶かして自作したグローブで車輪を前方に押すように回転させた。だが先頭集団に離される。日本の選手が金銀メダルを獲得。上与那原選手も自己ベストを5秒以上更新したが、メダルには届かなかった。

 建設会社に勤めていた00年、会社から帰宅途中にバイク事故を起こした。首の骨を折り、脚が動かず手にもまひが残った。妻(36)と子供2人の4人家族。職を失い、妻がパートで家計を支えた。

 リハビリ施設で「陸上をしないか」と誘われ、リハビリのつもりで陸上クラブに入会した。03年にマラソンに初挑戦。自分より障害の軽いランナーと競り合う楽しさに取り付かれた。

 04年に家具の製造工場に就職した後も、練習を続けた。06年のジャパンパラリンピックに出場し「世界一の大会に行きたい」と目標を定めた。レースに集中するため、07年9月に退社。毎日数時間、多いときは70〜80キロの走り込みを重ねた。

 今月2日の国際パラリンピック委員会の検査で一つ軽いクラスと判定された。このクラスは参加標準記録をクリアしていないため出場できない。だが5日の再検査で、当初予定のクラスで出場できるようになった。

 二百、四百メートルはともに6位。今もパートで生計を立てる妻のためにも、17日のマラソンにすべてを懸ける。「メダルを取って、家族やクラブのみんなへの感謝のお礼にしたい」

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