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2008年09月15日(月) 22時38分

テニス「金」の国枝「君が代にしびれた」産経新聞

 −−君が代はどうだった
 「いやあ、しびれました。本当に今まで4年間やってきたことがいろいろ蘇ってきた。コーチをはじめ支えてくれたスタッフの方々、応援してくれた友達に本当に感謝です」

 −−涙が出ていた
 「いやあ、そうですね。もう、つい出ちゃいましたね。本当にようやくこの4年間が終わったんだという気持ちでした」

 −−まさに最強だった
 「そうですね。終わってみれば6−3、6−0で終わって。ただ内容的には褒められたものではなかったなと。それはたぶんロビンも同じだったと思う。ただ、違いはサーブとリターンの精度に尽きると思う」

 −−不満な点は
 「ストロークに関してはまだまだ本来のデキではなかった。もうちょっとキレのあるショットが打てたけど。やはりパラリンピックの決勝という舞台がそうさせてはくれなかった。緊張感ですね」

 −−3−0から追い上げられたときですか
 「いや、最初から最後までだったと思う。ただ、サーブとリターン。それに尽きます」

 −−第1セットの最後から流れに乗った
 「う〜ん、そうかもしれないですね。よく覚えてないんですけど」

 −−デュースに入ると強い
 「この4年間で築き上げてきた自信とメンタルタフネスというか、そういうものが自分は他の選手よりあったかなと思います」

 −−(メンタルトレーナーの)アンさんとは決勝の前に話をした
 「昨日からけっこういろいろ質問したんですけど。とにかくリラックスと、肩の力をぬいて、最後はスマイルだということだったです」

 −−いろいろな質問とは
 「異様な雰囲気のセンターコートでどんな風に普段の力が出せるのかと質問したんですけど。そういう答えが返ってきました」

 −−ダブルス準決勝で負けてからどう切り替えた
 「ダブルスでの敗戦は、本当に今まで負けたことのない相手だったし、斉田さんのこともあったし、本当に取りたかったんですけど。ただ次の日にブロンズマッチもありますし。あれで勝てたことが、きょうにつながったと思いますね」

 −−次の目標は何になる
 「いやあ、まず、ちょっと休息を取って考えます」

 −−パラリンピックの金メダルの重みは違う
 「やっぱ違ったですね。本当にここまで違うのかと自分でも驚くくらいでしたね」

 −−どういうところが
 「グランドスラムは自分の中で過程でしかないと思っていた。ゴールはここの北京だと、アテネが終わってからスタートしましたんで。それだけ重圧もかかっていましたし、喜びも別格でした」

 −−国の代表という思いか
 「そうですね。国を代表してきているんで、もちろん恥ずかしい結果は残せないし。それよりも正直なところ、本当に支えてくれた方々に感謝を込めて、勝利をささげたいと思いました」

 −−真の王者を決める大会だった
 「ようやく4年間にピリオドが打てました」

 −−この4年間取り組んできたことは
 「本当にすべてといっていいくらい。まあ、フォアハンドもあのときと比べたらずいぶん違うし。バックハンドもトップスピンが加わって寄り攻撃的になった。そしてサーブリターンが他の選手より強かったかな」

 −−最後はこんな形で決めたいとかなかった
 「正直なところきれいな形で、リターンエース、2、3本狙っていたんですけど決まらなくて。最後は一つクロス入れとくかと思ってたんですけど、ああいうダブルフォールトで終わったんで。まあ、でもOKです。これ以上欲張ったらバチが当たります」

 −−金メダルで車いすテニスの認知度も上がる
 「もしそうならうれしいですね。これを機に注目度が高まれば、やってきたかいがあるなと思います」

 −−日本ではスポンサーの撤退が続いている
 「世界的には逆にスポンサーがついて賞金も上がっている。日本はそれに逆行している状況。もし、こういうことで報道されて、少しでも興味をもってくれる企業があれば、本当にサポートしてほしい。また、僕だけじゃなくて、日本の国内の選手も回りたいけど回れない選手がたくさんいると思う。そういう選手がサポートをもらって回れることによってレベルも上がってくると思うし、自分自身のレベルもまたさらに上げれるんじゃないかな」

 −−国枝モデルのラケットができないか
 「どうですかね。ちょっとノーコメントです」

 −−きょうはラケットにはいっている「オレは最強だ」の文字を見る必要はなかった
 「何回か見ましたね。サーブを打つ前、リターンに入る前、ポイント間で、『オレは最強だ』と自分自身に自信を植え付けるという意味ですごく重要な言葉だったと思います」

 −−車いすテニスに駆り立てたものは
 「たぶん普通の健常者の方々がテニスをやりたいと思うのと同じように、自分が車いすになってテニスをやってきたというだけなんで。特別な思いはそこにはありません。ただこういうことを報道されて、本当に少しでも多くの方に車いすテニスのことを知ってもらって、障害をもつ子どもたちにもやってもらえたらと思います」

 −−ロンドン大会は
 「どうでしょうね。パラリンピックのためだけにやるというのは過酷でした。自分の中で」

 −−過酷というのは
 「他の大会で勝ってもそれほど喜べない。また次の1時間後には次のやるべきことを考えなきゃいけないと。そういう生活を送ってきましたんで、本当に4年間、楽しかったこともありますけど、辛かったことの方が多いかなと思います」

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