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2008年09月14日(日) 16時28分

黒や茶色の小谷焼あった中国新聞

 明治時代に東広島市高屋町で生産され、模様はあい色だけとみられてきた磁器「小谷(こだに)焼」に、黒や茶色の彩色もあったことを市教委が確認した。「謎が多い小谷焼の実体を解明するきっかけになる」という。

 市史跡で高屋町小谷地区にある窯跡を調べたところ、茶や黒で色付けした茶わんのかけらを発見。市教委は「鉄分を含んだ上薬を用いたのではないか」とみる。ほかにも、彩料は不明だが、赤茶色の鉢の破片も見つけた。

 市教委の資料などによると、小谷焼の歴史は約140年前の明治時代初期にさかのぼる。一帯で良質な原料の石が採れ、住民らが窯を開いた。愛媛県から全国的に有名な「砥部焼」の職人も招き、一時は海外輸出もしたとされる。明治30年ごろには衰退して窯は壊された。市教委は「職人らが新たな彩色で普及を目指したのではないか。ほかにも色の種類がある可能性もある」とし、継続調査を予定している。

【写真説明】黒と茶色の小谷焼を手にする文化課職員。手前の列があい色の小谷焼

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200809140347.html