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2008年09月11日(木) 10時58分

生き残りをかけた相撲界 〜外国人力士は必要か?〜ツカサネット新聞

八百長疑惑、朝青龍騒動、時津風部屋の傷害致死事件に続き、8月に元若ノ鵬の逮捕、そして、今回の元幕内露鵬と元十両白露山のロシア出身の兄弟の大麻汚染と、角界の信頼は、すっかり地に落ちた。平成14年に理事長になって4期目という北の湖理事長もここへ来て辞任した。白露山が北の湖部屋の力士であったことが大きく影響したのだろう。弟子の不祥事は、親方の監督不行き届きであり、その責任は重い。弟子の身の潔白を信じ、検査を受けさせたが、結果は最悪のものとなった。

次いで武蔵川新理事長が誕生し、相次ぐ不祥事で失った信頼を取り戻すべく、今後の再建方針を打ち出した。そして、その第一にあげられたのは、横綱朝青龍の再教育だった。角界綱紀粛正の象徴として、以前から朝青龍の態度に不満を持っていた新理事長は、再教育を第一にした。今後、目に余る言動を取った場合は、直接呼び出して警告、問題行動を起こした場合は、解雇処分とする方針を示した。低迷する角界の再建のために北の湖前理事長は「土俵の充実」を強く唱えたが、新理事長は一連の不祥事の「再発防止」を最大のテーマに掲げた。これだけ不祥事が続けば、人生の土俵を割ったも等しい。横綱には横綱らしく、品格をもった人材にというところだろう。

それにしても関取の約3割が外国人で占められている。日本の国技と言われる相撲道のはずが、このまま行くと日本の相撲道は、完全に外国人に喰われ、彼らが帰化すれば日本人として親方にもなれる。強い者が勝ち残るのは、スポーツであれば当然の結果であるが、相撲道は、日本の1つの文化である。そう考えると、外国人が日本人に勝ってどんどん上位に君臨するようになれば、日本の文化ではなくなってしまう。幕内力士が全員、外国人になってしまう可能性もなくはない。そう考えると日本の国技が外国人の運営によって成り立っているという現実が起きるのも不思議な話ではない。

柔道もまた世界に開かれたスポーツとして、日本のルールではなく、外国人にルールに少しずつ変化していると聞く。これと同じように日本の文化、お家芸であったスポーツが外国人によって広められたのは良かったが、それによって日本が守って来た伝統や格式といったものがなくなり、外国人向けにオープンにされ過ぎるのは、やはり間違っていると感じる。世界のスポーツとして守るべきか、日本の国技として守るべきか、難しい選択だ。

今回の大麻事件も逮捕されたのが、たまたま外国人力士だっただけなのかもしれない。しかし、日本人の認識の中では、相撲界の規律は厳しく、そうした不正を最も嫌うところだと思っているだけに、外国人力士が逮捕されたこと自体が大きなショックだった。どうして外国人力士を入れてまで相撲をやらなければいけないのか。入門者が少ない、弱い力士が多いといった問題もあるが、だからといって体の大きな外国人を探し、力士を育て、日本人力士とぶつけることが強い力士を育てることになり、土俵の充実につながると簡単には考えにくい。そこには、言葉の壁もある。生活習慣の違い、考え方の違いもあり、どうしてもお互いに理解できないものもあるはずだ。日本の常識は外国の非常識になることも多分にある。

日本人が日本人の手で国技や伝統、文化を守るためには、やはり外国人に頼らないで強い力士を育てられる環境を作るべきだと思う。力を競い合うのはスポーツとしては当然だが、それ以前に相撲道という1つの道を日本の文化や伝統、格式によって守ってきたという事実の方が国技としては、重要なのではないだろうか。

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(記者:halfmoon)

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